橘糸重
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橘 糸重(たちばな いとえ、1873〈明治6〉年10月18日 - 1939〈昭和14〉年9月1日)は、日本の音楽家、敎育者、歌人。
経歴[編集]
三重県亀山出身。生後まもなく父をなくし、1874年に母、姉とともに上京。東京音楽学校(現・東京芸術大学)でピアノなどを学び、1892年卒業、研究科に入る。1896年母校助教授、1901年教授、1928年頃教授を辞し、1937年帝国芸術院会員。瀧廉太郎、高木東六は教え子。
歌人としては、竹柏会に入り佐佐木信綱に師事した。またラファエル・フォン・ケーベルを音楽上のみならず宗教上の師とした。
瀧廉太郎の歌曲「水のゆくへ」は、竹柏会発行の「竹柏園集」(第一編)に糸重が発表した新体詩に作曲されたものである。
島崎藤村が東京音楽学校選科に学んだ際に助教授として知り合い、藤村の小説『水彩画家』、『家』に登場する女性音楽家は糸重をモデルとしたものである。そのために藤村の恋人伝説が生まれたが、単に一度小諸に藤村を訪ねただけである。文壇の噂となったことを恥じ、生涯独身を通した[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 伊東一夫『藤村をめぐる女性たち』国書刊行会 平成10(1998)年11月刊
- 阪本幸男「橘糸重歌文集」短歌新聞社 平成21(2009)年10月15日刊