横瀬古墳

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横瀬古墳
Yokose Kofun SW 2013.JPG
墳丘全景(右手前に前方部、左奥に後円部)
別名 横瀬大塚山古墳
所在地 鹿児島県曽於郡大崎町横瀬
位置 北緯31度24分47.88秒
東経131度0分53.95秒
座標: 北緯31度24分47.88秒 東経131度0分53.95秒
形状 古墳記号アイコン-前方後円墳.svg 前方後円墳
規模 墳丘長137m
築造年代 5世紀中葉-後半
埋葬施設 竪穴式石室
出土品 (伝)鉄器など
指定文化財 国の史跡「横瀬古墳」
特記事項 鹿児島県第2位の規模
地図
横瀬古墳の位置(鹿児島県内)
横瀬古墳
横瀬古墳
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横瀬古墳(よこせこふん)または横瀬大塚山古墳(よこせおおつかやまこふん)は、鹿児島県曽於郡大崎町横瀬にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

鹿児島県では第2位の規模の古墳で、5世紀中頃-後半頃(古墳時代中期)の築造と推定される。

概要[編集]

鹿児島県東部、志布志湾から西方の標高6メートルの水田地帯に築造された大型前方後円墳である[1]江戸時代から知られた古墳で[1]、現在は前方部に祠が祀られている[2]

墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける[1]。墳丘長は約137メートルを測り、鹿児島県では唐仁大塚古墳東串良町、約140メートル)に次ぐ第2位の規模とされる。墳丘表面では円筒埴輪形象埴輪(盾形埴輪など)が検出されている(埴輪を有する古墳としては日本最南端)[1]。墳丘周囲には周濠(盾形か)が巡らされており、その幅は12-23メートル、深さは1.5メートルを測り、周濠を含めた古墳総長は160メートルに達する[1]。この周濠のさらに外側では、後円部北側・前方部南側で外濠が存在することも認められている[3]。主体部の埋葬施設は竪穴式石室で、現在は後円部墳頂に露出する[1]。この石室からはかつて鉄器等が持ち出されたといわれる[1]。その他の出土品としては須恵器(加耶系陶質土器・陶邑産須恵器)がある[1]。また、現存はしないが古墳周囲には古墳群が形成されていたと伝えられ[2]、それら周囲古墳は本古墳の陪塚であった可能性も指摘されている[4]

この横瀬古墳は、墳形・埋葬施設・出土品等から古墳時代中期の5世紀中頃-後半頃の築造と推定されている[1]。本古墳は沿岸部に築造された「海浜型前方後円墳」になり、ヤマト王権南西諸島朝鮮半島との交流を物語るとする説がある[5]

古墳域は1943年昭和18年)に国の史跡に指定されている[6]。なお周辺では、前述の唐仁大塚古墳を含む唐仁古墳群(東串良町)のほか、本古墳に先立つ神領古墳群(大崎町神領・横瀬)の分布が知られる[4]

来歴[編集]

規模[編集]

古墳の規模は次の通り(2010-2011年度(平成22-23年度)の調査値)[3]

  • 古墳総長:192メートル - 周濠を含めた古墳全長。
  • 墳丘長:137メートル
  • 後円部
    • 直径:80メートル
  • くびれ部
    • 幅:58メートル
  • 前方部
    • 幅:最大88メートル
  • 内濠
    • 後円部側:6-8メートル
    • くびれ部西側:12メートル
    • くびれ部東側:20メートルか
    • 前方部側:7-11メートル
  • 外濠
    • 後円部側:3.5メートル
    • 前方部側:2.5メートル

傾斜面上に位置するため、墳丘は後円部の方が1メートルほど高く築造されている[1]。後世の削平により後円部墳頂では竪穴式石室が露出することから、元々の後円部はさらに高かったと推測されている[1]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 横瀬古墳 - 1943年(昭和18年)9月8日指定[6]

関連施設[編集]

  • 鹿児島県立博物館鹿児島市城山町) - 横瀬古墳の出土埴輪等を展示[9]
  • 鹿児島県歴史資料センター黎明館(鹿児島市城山町) - 横瀬古墳の出土物等を所蔵[1]
  • 鹿児島県立埋蔵文化財センター(霧島市国分上野原縄文の森) - 横瀬古墳の出土物等を所蔵[1]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

外部リンク[編集]