横浜市立南高等学校・附属中学校
横浜市立南高等学校・附属中学校 | |
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過去の名称 | 横浜市立港高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(市立) |
設置者 |
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学区 |
横浜市内全域 高等学校(学区外入学限度8%) 附属中学校(学区外入学限度30%) |
設立年月日 | 1954年4月1日 |
開校記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 |
単位制(2012年度入学生まで) 学年制(2013年度入学生から) |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 14202G |
所在地 | 〒233-0011 |
神奈川県横浜市港南区東永谷二丁目1番1号 北緯35度24分19.3秒 東経139度34分47.8秒 / 北緯35.405361度 東経139.579944度座標: 北緯35度24分19.3秒 東経139度34分47.8秒 / 北緯35.405361度 東経139.579944度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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横浜市立南高等学校・附属中学校(よこはましりつ みなみこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、神奈川県横浜市港南区東永谷二丁目にある公立高等学校・中学校。中学校は県下公立高校で初めて開設された附属校である。横浜市で数少ない公立中高一貫校である。高校の通称は「南高」(なんこう)。 中学の入試は、適性検査形で、今年の倍率は、7.99倍だった。 最寄り駅は、上永谷駅で、徒歩では片道15分。しかし、上永谷駅からのバスは設定されていない。 上大岡駅から通学する生徒も多く、こちらは徒歩18分である。また、バスも設定されている。
目次
概要[編集]
1949年(昭和24年)、戦後の学制改革により横浜市立横浜商業高等学校(Y校)に普通科が設置され、1950年(昭和25年)からは小学区(一区一校)制のもと、南区(現在の港南区も含む)を中心とする地域の進学先として指定された。しかし商業科と同居する同校では施設が手狭であったため、新たな普通科高校の設置が望まれるようになった[1]。
1954年(昭和29年)、Y校普通科の募集が停止され、定時制のみの学校であった横浜市立港高等学校に全日制普通科を設置するという形で、港高校全日制が創立された。さらに将来的な独立を見据え、校名変更により横浜市立南高等学校となった[1]。
1960年(昭和35年)、現在地に移転。南高PTA会員と南区民とが「南高校建設後援会」を発足させ、建設資金の準備、土地購入の活動などを展開して実現させた。建設費用の約6割はこうした市民活動によって賄われたもので、また、校地造成には米軍の協力があった。なお、この建設後援会を母体として、現在の「南高等学校後援会」が立ち上げられた[1]。
1991年(平成3年)に6階建ての校舎が新築された。約400名収容の南高ホール、食堂、生徒が自由に利用可能なエレベーター、プラネタリウム、合宿可能なセミナーハウス等、横浜市立高等学校の中では随一の充実した設備を有する。通学方法は徒歩及び公共交通機関。南高校行きのバスも上大岡や東戸塚から出ている。大部分の生徒が四年制大学に進む。
横浜市教育委員会は、2012年(平成24年)より中高一貫校化する方針を決めた。当初は中等教育学校とする予定であったが、後に併設型中高一貫校、すなわち高等学校に附属中学校(神奈川県では初の公立高校附属中学)を併設する形に計画が変更された[2]。その結果「横浜市立南高等学校」という名称・組織は存置されることになった。2011年4月、附属中学校の適性検査日等が発表された[3]。 附属中学校一期の入試倍率は10倍であった。
高等学校は2012年度より「進学指導重点校」に指定されている。2013年度からは再び学年制に変更される。 さらに、2015年度からは文部科学賞公認のSGH(スーパーグローバルハイスクール)にも指定され、さらなる躍進を遂げている。
沿革[編集]
- 1954年4月1日 - 横浜市立吉田中学校内に横浜市立港高等学校(全日制)として創立。小学区(一区一校)制であった。
- 1954年5月1日 - 横浜市立南高等学校と改称。この日を開校記念日とする。
- 1955年 - 横浜市立港高等学校(定時制)の校舎へ移転。
- 1960年 - 現在の所在地に校舎が完成。完全に移転。
- 1963年 - 中学区制施行。緑ヶ丘、金沢、立野の各校と共に横浜南部学区に属す。
- 1981年 - 学区改編され、新たな横浜南部学区に属す。
- 1989年 - 校舎新築工事起工。
- 1991年3月25日 - 新校舎完成。
- 2003年 - 創立50周年。単位制導入、学区が横浜市全域に変更される。
- 2007年 - 横浜市教育委員会から「授業力向上研究校」に指定される[4]。
- 2011年10月1日 - 横浜市立南高等学校附属中学校開校記念日。
- 2012年 - 横浜市立南高等学校附属中学校開校。 横浜市教育委員会から「進学指導重点校」に指定される(高等学校)。
- 2013年 - 学年制に移行(高等学校)。
教育方針[編集]
高等学校[編集]
- 自主自立の精神を培い、調和の取れた人間の育成を図る。
- 基礎学力の充実と主体的に学ぶ態度の育成。
- 人権を尊重した、他人への思い遣りと豊かな心の育成。
- 健康な身体とたくましく生きる力の育成。
- 将来のリーダーとなる素養の育成
附属中学校[編集]
- 学びへの飽くなき探求心を持つ人材の育成
- 自ら考え、自ら行動する力の育成
- 未来を切り拓く力の育成
校歌[編集]
歌詞は一般公募し、投稿者名を伏せて選定。1959年(昭和34年)、第6回南高祭にて県警音楽隊の演奏にて発表された。作詞、初代校長 黒澤信吾。作曲、別宮貞雄。
学校行事[編集]
学園祭(南高祭)[編集]
南高祭といい、毎年5月に開催される体育祭の部、毎年9月に開催される展示の部、舞台の部、後夜祭の部からなる。一般に公開されるのは展示の部のみである。舞台の部では、「花の章」「風の章」「憧憬(あこがれ)の章」の全三章が存在しているが、名称の由来は南高校校歌の歌詞によるものである。「憧憬の章」では著名人の出演があり、出演者の選定や打ち合わせ、当日の応接なども生徒が中心となり行われる。また「風の章」では二年次生が製作した演劇が上演され、あらゆる作業が生徒の手だけによって行われる。「お祭り学校」と言われることもある、行事の多い学校である。
部活動[編集]
料理部が、2010年スイーツ甲子園に出場している。ほかに水泳部、弓道部が県下の強豪である。 野球部は、2011年夏の甲子園県予選第2シードを得ている。 1969年夏の甲子園県大会ではベスト4まで進出した。 生徒会活動が活発である。
備考[編集]
- 現校舎新築時より土足制となり内履きが廃止された。但し体育館棟・テニスコートに入る時は、体育館履き・テニスシューズへの履き替えが必要となる。
- 女子のズボンが作られ、2008年度(平成20年度)よりジャンパースカートを廃止。
交通[編集]
- 京急線・横浜市営地下鉄ブルーライン 上大岡駅より徒歩18分、または下記バスを利用の上、「南高校」下車すぐ
- 横浜市営地下鉄ブルーライン港南中央駅より徒歩18分
- 横浜市営地下鉄ブルーライン上永谷駅より徒歩15分
著名な関係者[編集]
出身者[編集]
- 松谷孝征(7期生) - 手塚プロダクション社長
- 石澤典夫(11期生) - NHKアナウンサー
- 押味至一(11期生) - 鹿島建設社長、ロングライフビル推進協会会長、日本建設業連合会副会長
- 高橋ゲタ夫 - ジャズ・フュージョンベーシスト、音楽プロデューサー
- 平野岳史(24期生) - 株式会社フルキャストホールディングス取締役会長
- 岸根敏幸(26期生) - 福岡大学人文学部教授
- 真織由季(29期生) - 女優(宝塚歌劇団卒業生、元月・星組男役)※宝塚音楽学校進学のため2年修了時中退
- カサハラテツロー(30期生) - 漫画家
- 苅部俊二(32期生) - 法政大学文学部助教授。元陸上選手。アトランタ、シドニーオリンピック出場
- 岡本隆吾(36期生) - 大宮アルディージャ・コーチ。元サッカー選手
- 南雲玲生(36期生) - ゲームクリエイター。作曲家。株式会社ユードー代表取締役
- 奈良輪雄太 - サッカー選手(筑波大-SAGAWA SHIGA FC-横浜F・マリノス-湘南ベルマーレ)
- 森谷賢太郎 - サッカー選手(筑波大-横浜F・マリノス-川崎フロンターレ)
- 中山拳一 - サッカー選手(福岡大-ホンダロックSC)
- 高井一郎 - フジテレビプロデューサー
脚注[編集]
- ^ a b c 『創立20周年記念誌』より
- ^ 横浜市立中高一貫教育校の設置に関する基本方針
- ^ 横浜市記者発表資料
- ^ 学力向上研究校、授業力向上研究校の指定
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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