横山孝雄

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横山 孝雄(よこやま たかお、1937年2月15日 - )は、日本の漫画家。妻は「知里幸恵銀のしずく記念館」館長の横山むつみ。義父は知里幸恵の弟で知里真志保の兄にあたる知里高央。

来歴[編集]

中華民国北京生まれ[1]。領事館警察官だった父の転勤で、主に長江下流域の中小都市で幼少期を過ごした。

1946年、日本敗戦により両親の故郷である福島県新地町に引き揚げる。福島県立相馬高等学校[2]在学中、『漫画少年』誌を通じて、石森章太郎が主宰の「東日本漫画研究会」の会員となり『墨汁一滴』に参加する[3]。修学旅行の途中に抜けだして石森章太郎に会いに行ったこともあったという。就職活動のために一時上京し、東日本漫画研究会の会員であった赤塚不二夫、よこたとくお長谷邦夫らと交流を深め、手塚治虫を訪問しトキワ荘を案内されたうえ同室で一泊するという経験をする。

高校卒業後は上京し玩具会社に就職。デザイン部で働く傍ら、休日にはトキワ荘に足しげく通った。そのため、住んではいないがトキワ荘グループの一員に数えられることも多い。

その後会社を辞め、赤塚不二夫アシスタント第1号となる。フジオ・プロの設立にも参加し、赤塚不二夫のマネージャーとなる。フジオ・プロに在籍中も『旅立て荒野』や『ぼくは戦争をみた』などの漫画を発表する。

アイヌ民族との関わり[編集]

1974年に南米旅行でリマに滞在していたとき、アイヌ民族のアト゜イと出会い、少数民族の存在と問題を意識するようになった。その年の9月に赤塚不二夫を阿寒湖畔に連れて行きアト゜イと会わせている。しだいにアイヌに知己が増え、1977年にアイヌ青年参政協議会から参議院議員として立候補した秋辺得平の選挙活動を応援するまでになった。翌年の秋、秋辺が所属するヤイユーカラ・アイヌ民族学会に同行し、アメリカとカナダの少数民族への親善訪問を行う。その訪問団の中にいた知里むつみと知り合い、1979年1月末に結婚した[4]。1982年、フジオ・プロからの独立後に、ノンフィクションの『少数民族の旅へ』、『アイヌって知ってる?』などの研究書を発行する。北海道登別市に移住し、アイヌ民族や民話を題材にした漫画や絵本を発表している。

アイヌ民族運動家・貝澤藤蔵について、最初の評伝的記事を『近代日本社会運動史人物大事典』(1997年)に執筆したのも横山孝雄である[5]

主な作品リスト[編集]

  • 『旅立て荒野』 (曙出版、1971年)
  • 『ベラマッチャ動物誌 世界のおサル百科』 (曙出版、1975年)
  • 「アニマちゃん」 (秋田書店ひとみ」連載、1979年、横山たかお名義)
  • 『ぼくは戦争をみた マンガ少年の日中戦争』 (ポプラ社、1981年)
  • 『少数民族の旅へ』 (新潮社、1984年)
  • 『アイヌって知ってる?』 (汐文社、1984年)
  • 『少年兵レイテに消ゆ』 (ほるぷ出版、1985年)
  • 『諸葛孔明グラフティー』 (新人物往来社、1985年)
  • 『アイヌ語イラスト辞典』 (蝸牛社、1986年、知里高央との共著)
  • 『マンガ 地球汚染公害読本―緑の星を救え!』 (ナショナル出版、1990年)
  • 『北の国の誇り高き人びと 松浦武四郎とアイヌを読む』 (かのう書房、1992年)
  • 『アイヌ語絵入り辞典』 (蝸牛社、1994年、知里高央との共著)
  • 『コミックアイヌの歴史 イシカリ神うねる河』 (汐文社、2008年)

脚注[編集]

  1. ^ 日外アソシエーツ編集部 『漫画家アニメ作家人名事典』、1997年ISBN 4816914234
  2. ^ 手塚治虫&13人 『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』、1987年ISBN 4905579945
  3. ^ 長谷邦夫 『漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語』、2004年ISBN 9784860290757
  4. ^ 横山孝雄 『少数民族の旅へ』 新潮社、1984年、133p。
  5. ^ 須田茂 『近現代アイヌ文学史論〈近代編〉』 寿郎社、2018年、289p。

関連項目[編集]