権俊 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
本来の表記は「權晙」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
権晙
生誕 1895年5月2日
Flag of Korea (1882–1910).svg 大朝鮮国慶尚北道尚州
死没 (1959-10-27) 1959年10月27日(64歳没)
大韓民国の旗 大韓民国忠清南道大田市儒城区
所属組織 国民革命軍
韓国光復軍
大韓民国陸軍
最終階級 上校(中国軍)
少将(韓国陸軍)
墓所 国立ソウル顕忠院愛国志士墓域102号
テンプレートを表示

(クォン・ジュン、권준)は日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国軍人本貫安東權氏(안동권씨)。百忍(백인)、揚武(양무)。別名は權重煥(권중환)、權楊武(권양무)など。

人物[編集]

1895年5月2日、慶尚北道尚州郡咸昌面尺洞里に生まれる。1917年、京城工業専習所を卒業した後、光復会に参加。三・一運動後に中国へ亡命。新興武官学校卒業。義烈団で活動。朝鮮内で資金調達中に逮捕され投獄される[1]。釈放後、上海に亡命。同済大学卒業。

1926年1月、黄埔軍官学校第4期歩兵科入学。歩兵第1団第7連配属[2]。同年10月、卒業。北伐に参加。国民革命軍第6軍砲兵営副営長兼武漢分校訓練部教官[3]。この頃、東方被圧迫民族連合会に朝鮮代表として参加して執行委員に選出される[4]。1927年、国民党による共産党弾圧により砲兵営長の李検雲が逮捕されると、湖南省に避難した[5]。1932年、南京で朝鮮民族革命党朝鮮語版に入党。同年10月に開校した朝鮮革命幹部学校の第1期教官[6]。生徒に築城学を教えた。1933年、中国軍に復帰。1934年6月、連長として南京に勤務。1937年、朝鮮義勇隊秘書長。

1944年2月、韓国臨時政府軍務部軍事学編纂委員[7]。1944年5月31日、臨時政府内務部次長[7]。1944年7月11日、臨時政府内務部警務科科長兼警備隊隊長[7]。終戦後は華南区韓僑宣撫団武漢分団団長[8]光復軍第5支隊長として武漢で活動したのち、1946年12月に帰国[1]

1949年、陸軍士官学校第8期特別第1次任官[9]、任大領(軍番12446番)、護国軍朝鮮語版第106旅団長[10]。1949年7月、首都警備司令官。朝鮮戦争では慶尚南道地区衛戍司令官[11]、西部地区警備司令官を歴任。1952年9月、第1訓練所長(代理)。1953年、予備師団長[12]。1954年、第3管区司令官(初代)。1955年6月22日、第50師団長(初代)[13]。1956年、予備役編入[1]

1968年、建国勲章独立章を受章[13]

2010年9月、大韓民国国家報勲処が9月の「今月の独立運動家」に選定。

2016年10月、大邱上里公園に胸像が建てられる[13]

勲章[編集]

家族[編集]

  • 妻:李錫雨(이석우)
  • 長女:權泰玉(권태옥)
  • 長男:權泰烋(권태휴)
  • 次男:權泰環(권태환)
  • 孫:權ヨンチョル(권영철)
  • 孫:權ヨンヒョク(권영혁)
  • 孫:權ヨンビン(권영빈)
  • 孫:權ヨンユ(권영유)

出典[編集]

  1. ^ a b c d 항일독립운동의 선봉 애국지사 백인(百忍) 권준(權晙) 장군 (PDF)
  2. ^ 湖南省档案館 校編,鄧代蓉 責任編輯. 黄埔軍校同学録. 湖南人民出版社. 
  3. ^ 試論韓国独立運動与中国広州的関係 (PDF)
  4. ^ “불멸의 발자취(52)—무한의 사적지들” (朝鮮語). 吉林新聞. (2011年11月17日). http://kr.chinajilin.com.cn/cxz/content/2011-11/17/content_72169.htm 2018年6月22日閲覧。 
  5. ^ “불멸의 발자취(22)—남창봉기 상편” (朝鮮語). 吉林新聞. (2011年8月22日). http://kr.chinajilin.com.cn/cxz/content/2011-08/22/content_61899.htm 2018年6月22日閲覧。 
  6. ^ “불멸의 발자취(50)—김원봉과 남경의 사적지들” (朝鮮語). 吉林新聞. (2011年10月9日). http://kr.chinajilin.com.cn/cxz/content/2011-10/09/content_67089.htm 2018年6月22日閲覧。 
  7. ^ a b c 韓国臨時政府部署別職員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2015年11月27日閲覧。
  8. ^ 1. 駐華代表團 團長”. 国史編纂委員会. 2017年7月5日閲覧。
  9. ^ 6・25戦争史 第1巻 (PDF)” (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 332. 2016年11月18日閲覧。
  10. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』 原書房1976年、204頁。 
  11. ^ “6・25戦争と私の人生” (朝鮮語). 한국일보 밴쿠버. (2012年9月28日). http://ikoreatimes.com/Article/view.aspx?p=73&q=&page=1&aid=12536 2016年1月8日閲覧。 
  12. ^ “[国道7号線時代]勤務態度叱責に恨みを抱いた部下が酔った勢いで警察署長を射殺” (朝鮮語). 慶尚日報. (2012年12月24日). https://www.ksilbo.co.kr/news/quickViewArticleView.html?idxno=393468 2016年1月8日閲覧。 
  13. ^ a b c “참군인 표상 권준 장군 흉상 대구 상리공원에 세워” (朝鮮語). 연합뉴스. (2016年10月9日). http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/10/07/0200000000AKR20161007173000053.HTML 2018年6月21日閲覧。 
  14. ^ a b c d e 독립운동가 권준선생 기념식 및 학술강연회” (韓国語). 安東權氏大宗院. 2015年12月5日閲覧。

外部リンク[編集]

  • 權晙” (中国語). 中国档案. 2016年12月25日閲覧。