槇克己

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槇 克己 (まき かつみ、1930年10月24日 - )は、元宝塚歌劇団プリマドンナ大阪府大阪市出身。本名は正司 泰子(しょうじ やすこ、旧姓:平川)血液型はA型。身長163cm。 活動期間は1948年から現在。主な作品は宝塚歌劇『華麗なる千拍子』。宝塚時代の愛称はオロチ、ヒラカワさん。元宝塚市長夫人。

略歴[編集]

1930年10月24日大阪で老舗の「更科」に出生。1947年四条畷高等女学校を卒業。同年宝塚音楽学校に入学。1948年宝塚歌劇団に入団。

宝塚音楽学校を特待生で入学も成績は46人中18番。宝塚入団時の成績は46人中3番。宝塚歌劇団35期生

初舞台は、1948年(昭和23年4月)宝塚大劇場 月組公演 『陽気な街/春のをどり<大津絵>』。

同期生に寿美花代高千穂ひづる、雅章子(金田正一夫人,金田賢一の母)、らがいる。八千草薫とは一期違いである。

宝塚時代の組配属は、月組花組-声楽専科星組-声楽専科。

1960年のグランド・ショウ『華麗なる千拍子』高木史朗作・演出のレヴューが芸術祭賞を受賞。宝塚のプリマドンナを確立した。『華麗なる千拍子』は映像が現存する。

1962年(昭和37年)グランド・ショウ『メイド・イン・ニッポン』 高木史朗作・演出のレヴューが通産大臣賞 を受賞。

1962年12月8日 フジTVスター千一夜寿美花代、本城珠喜、麻鳥千穂那智わたると出演。

1964年、専月星組合同公演『舞拍子/レビューへの招待』にて寿退団。

正司泰一郎(元宝塚市長)夫人、(株)大宇社長、国際ソロプチミスト宝塚前会長。

宝塚歌劇団の主な出演作品[編集]

  • 1948年 - 初舞台/宝塚大劇場月組「陽気な街(内海重典)/春のをどり<大津絵>(楳茂都陸平)」
  • 1949年 - 「東京ニュウヨーク」/アロハの男
  • 1952年 - 「源氏物語」「シャンソン・ド・パリ」
  • 1954年 - 「みにくい家鴨の子/白井権八/王春讃歌」「サッカ・ローラ/薔薇の大地」
  • 1955年 - 「春の踊り<レインボウ宝塚>」「ピンドラーマ」「紅孔雀」「キスメット」
  • 1956年 - 「ワルシャワの恋の物語<君の名は>」「ホノルル・ホリデー」「<ハワイ選抜組公演>二人袴/日本の花」
  • 1957年 - 「初春宝塚花踊り」「インディアン・ラヴコール」「ホリデー・イン・ハワイ」「モン・パリ」「年忘れ狸御殿」
  • 1958年 - 「寿初春絵巻/恋人よ我に帰れ」「花詩集」「花詩集オン・アイス」「三つのワルツ」「花の饗宴」
  • 1959年 - 「日本美女絵巻」「ミュージックアルバム」「黒のあざ姫と炭焼」「シャンソン・ダムール」
  • 1960年 - 「春の踊り」「ビバ・ピノキオ」「華麗なる千拍子」(芸術祭賞受賞)「オープン・ザ・ウィンドウ」
  • 1961年 - 「朧夜源氏」「華麗なる千拍子」「フォルテで行こう」「三銃士」
  • 1962年 - 「フォルテで行こう」「メイド・イン・ニッポン」(通産大臣賞受賞)「僕は君」「タカラジェンヌに栄光あれ」
  • 1963年 - 「タカラジェンヌに栄光あれ」「花詩集1963年」「太陽に乾杯」「虹のオルゴール工場」「レビューへの招待」
  • 1964年(昭和39年)1月1日〜1月29日 - 退団公演/宝塚大劇場/専.月.星(声楽専科)/
    「舞踊集『舞拍子』(戸部銀作、高木史朗)/グランド・レビュー『レビューへの招待』(高木史朗)」
  • 1960年(昭和35年12/16~12/17) 宝塚大劇場 花.月.雪.星.専
    第一回 宝塚芸術祭(白井鐵造総指揮)(高木史朗.内海重典構成)
    第1部:ヴォーカルコンサート
    第2部:クラシックバレエ
    第3部:オペラ
    第4部:日本舞踊

オペラ『カルメン』

  • カルメン (主演)
  • ドン・ホセ (アリゴ・ポーラ)
  • ミカエラ (加茂さくら)
  • エスカミリオ (楯了三)
  • メルセデス (穂波しのぶ)
  • フラスキータ (八汐路まり)
  • ダンカイロ (木村四郎)
  • レメンダード (竹内光男)他

[1]

出典[編集]

  1. ^ 宝塚歌劇団出版部:宝塚おとめー宝塚歌劇脚本集ー宝塚歌劇解説と配役ー舞台年鑑ー宝塚グラフ

外部リンク[編集]