楽浪高氏

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楽浪高氏
氏族
朝鮮
領地 楽浪郡
民族 漢人
著名な人物 高達高興高分屋高常賢高寿高孝通

楽浪高氏(らくろうこうし、ナンナンゴし、朝鮮語: 낙랑고씨)は、前漢武帝紀元前108年朝鮮半島に設置した植民地である漢四郡で勢力を張った漢人豪族

概要[編集]

百済人姓氏は、紀元前2世紀以来の紀元前128年投降した南閭は、中国姓・中国式姓名であるため、濊人は、紀元前2世紀から中国姓・中国式姓名を使用していたことが確認できる[1])、8世紀以降の統一新羅のような中国式姓名への改称はなく固有語名を使用した[2]加藤謙吉は、百済蓋鹵王から東城王時代官吏である「長史高達高達中国人名である[3])は、314年頃の高句麗の攻撃による楽浪郡帯方郡崩壊後に百済帰化した楽浪高氏の子孫の可能性があると指摘している[4]

脚注[編集]

  1. ^ 伊藤英人『「高句麗地名」中の倭語と韓語』専修大学学会〈専修人文論集 105〉、2019年11月30日、372-373頁。 
  2. ^ 伊藤英人『「高句麗地名」中の倭語と韓語』専修大学学会〈専修人文論集 105〉、2019年11月30日、378頁。 
  3. ^ 이성제. “5호16국·남북조 상쟁기 이주민과 고구려·백제”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年11月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221123050319/http://contents.nahf.or.kr/id/NAHF.edeah.d_0002_0010_0040 
  4. ^ 加藤謙吉フミヒト系諸氏の出自について」『古代文化』第49巻第7号、古代学協会、1997年、431頁、ISSN 00459232NAID 110000448905 

関連項目[編集]