楽寿園
楽寿園 | |
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![]() 楽寿館と小浜池 | |
分類 | 総合公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度7分22.54秒 東経138度54分42.36秒 / 北緯35.1229278度 東経138.9117667度座標: 北緯35度7分22.54秒 東経138度54分42.36秒 / 北緯35.1229278度 東経138.9117667度 |
面積 | 約72,768平方メートル[1] |
前身 | |
開園 | 1952年(昭和27年) |
設備・遊具 | #主な施設参照 |
駐車場 |
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バリアフリー |
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事務所所在地 |
〒411-0036 静岡県三島市一番町19-3 |
公式サイト |
www |
楽寿園(らくじゅえん)は、静岡県三島市が運営する有料の公園、動物園。
目次
概要[編集]
現在の楽寿園のある場所は古くは小浜山と呼ばれ、愛染院(廃寺)、浅間神社、広瀬神社の社寺域であった[1]。1890年(明治23年)、小松宮彰仁親王の別邸として造営され、彰仁の没後、1911年(明治44年)に韓国王世子李垠の別邸となり、昌徳宮と呼ばれた。1927年(昭和2年)、伊豆出身の資産家・緒明圭造へ売却。1952年(昭和27年)には三島市が購入し、同年7月15日から市立公園として一般公開した[1]。1954年(昭和29年)には
楽寿園の地形をつくる「三島溶岩」は、下層部が約1万7千年前、上層部が約1万500年前の富士山の噴火で流出したもの[3]。この三島溶岩流は露頭している。この地形を生かした日本庭園と共に小規模の遊園地と動物園も併設されている。かつてはゾウやキリンなどの大型動物やも飼育されていたこともあった[3]。2011年(平成23年)6月26日には開園以来2000万人の入園者を記録した[4]。
主な施設[編集]
楽寿館[編集]
1890年(明治23年)に建てられた京都風の高床式数寄屋造りの建物[5]。館内には滝和亭など、帝室技芸員の6人を含む明治時代の画家の作品が展示されている。内部は一般公開されているが、指定された見学時間までに玄関前で待つ必要がある[5]。
小浜池(こはまがいけ)[編集]
楽寿園の敷地内南側にある湧水によって形成される池。蓮沼川(宮さんの川)と源兵衛川の起点となっている。池の水位は季節によって変化し、降水量の多い夏期に増加、冬季に減少する。かつては三島湧水群を代表する水量を誇ったが、昭和37年頃から湧水の枯渇が続いており、工業用水の汲み揚げとの関係が指摘されている[6]。
ミシマバイカモ(Ranunculus nipponicus var. japonicus)は1930年(昭和5年)に中井猛之進によりこの小浜池にて発見された。1950年代中頃、渇水や水質の悪化により一度は絶滅したと考えられたが、柿田川で再発見され楽寿園に移植された。
三島市郷土資料館[編集]
三島市周辺地域の歴史や文化、人々の暮らしを紹介する博物館。入館料は無料。
蒸気機関車静態保存[編集]
三島市郷土資料館の近くに、C58形322号機(1942年(昭和17年)製造)が静態保存されている。
どうぶつ広場[編集]
園内にある小動物園。
どうぶつふれあい広場[編集]
来客と動物がじかに触れ合う広場。
風景[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c “楽寿園の自然 はじめに”. 三島市ホームページ. 2014年6月11日閲覧。
- ^ “楽寿園の自然”. 三島市ホームページ. 2014年6月11日閲覧。
- ^ a b “〔6〕三島・楽寿園 園長 森野智喜さん 地質や歴史体験の場” (2013/6/27 8:22). 2013/6/29日閲覧。
- ^ 園内の表示より
- ^ a b “楽寿館のご案内”. 三島市ホームページ. 2014年6月11日閲覧。
- ^ 三島自然を守る会編集委員会編 『どこに消えたか三島の湧水』 三島自然を守る会、2006年11月。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 楽寿園の公式サイト
- 楽寿園 - Facebook
- 三島市郷土資料館の公式サイト
- 楽寿園・源兵衛川 - 伊豆半島ジオパーク
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