楽以琴

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楽 以琴
Yue Yiqing
Yue yiqing.jpg
渾名 飛将軍
生誕 1914年11月11日
中華民国の旗 中華民国四川省蘆山県
死没 (1937-12-03) 1937年12月3日(23歳没)
中華民国の旗 中華民国江蘇省南京市
所属組織 Republic of China Air Forces Flag (1937).svg 中華民国空軍
軍歴 1933年 - 1937年
最終階級 空軍少校
墓所 南京航空烈士公墓
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楽 以琴(がく いきん、ユエ・イーキン、1914年11月11日[1] - 1937年12月3日)とは、中華民国空軍軍人エースパイロット。原名楽以忠、四川省蘆山県上西街出身。最終階級は上尉(大尉に相当)、死後少校(少佐に相当)に特進。中央航空学校駆逐科第3期生。撃墜数6。飛将軍飛行将軍)の通称で呼ばれ、高志航劉粋剛李桂丹とともに中国空軍軍人の「四大金剛」と称されている[2]

楽以琴
各種表記
繁体字 樂 以琴
簡体字 乐 以琴
拼音 Yuè Yǐqín
和名表記: がく いきん
発音転記: ユェ イーチィン
ラテン字 Yüeh4 I3-ch'in2
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生涯[編集]

水たばこ農園や茶荘を経営する豪商の家庭に生まれる。家系は岳飛の後裔であり、秦檜からの迫害を逃れて四川に辿り着いたとき「楽」に改姓したとされる。父・楽和洲は叔父の和済ともども教育熱心なクリスチャンであり、学校や教会の設立に貢献した地元の名士であった。兄弟が17人もいる大家族で、その多くが父の教育方針で医師や教師となっている。楽もまた満足な教育を受け、雅安小学卒業後、張家山明徳中学を経て済南の斉魯大学中国語版に合格。なおこの時、入学に必要な卒業証書が中学にはなかったらしく、華西協合高級中学を卒業した四番目の兄・楽以琴の卒業証書を拝借、以後「楽以琴」を名乗る事となった[3]。なお、本当の楽以琴も同様に妹・以純の卒業証書を借用して空軍パイロットとなっており、楽以純と名乗っている。

また幼少期よりスポーツにも秀で、サッカーを好んだ[4]。1931年の双十節に開催される第五届全国運動会のトラック競技に四川学生代表として参加が決まっていたが、満州事変第一次上海事変を受けて2年後の延期となる。憤慨した楽は大学を自主退学し、杭州の中央航空学校に三期生として入学。1934年12月30日に卒業し、中央航校飛行教官、第8隊附を経て、高志航率いる空軍第4大隊第22隊分隊長。1937年8月15日、八一五杭州空戰において、日本軍の戦闘機4機を撃墜。8月21日、上海西部朱家宅において再び一機を撃墜。 高志航の戦死後、副大隊長の李桂丹が大隊長となり、董明徳が第21中隊長に就任すると同中隊の副隊長に任命される[5]

12月1日、南京防空戦の任を受け、董明徳とともに明故宮飛機場に飛来。翌日昼、第3大隊、ソ連空軍志願隊とともに十三空との空戦に参加[6]。しかし帰投後、エンジンのシリンダーの故障に見舞われる。3日、自身の乗機の代わりに董の乗機であったI-16に搭乗し、南京郊外北東の棲霞山中国語版上空にて爆撃機の編隊と交戦中に被弾[5]。パラシュートにて脱出したが、頭部に敵機の銃弾を受け死亡したとされる。ただし、日本側では12月4日に初陣であった十三空所属の武藤金義の搭乗する九六式艦上戦闘機が南京にてI-16を撃墜した旨が記録されており、この機の搭乗者が楽であったと考えられている。24歳没。

その活躍は小学校の教科書にも掲載されたが、戦後の国共内戦で国民党が敗れて以降、元党軍関係者は無論、楽の親族も厳しい弾圧を受け、楽の存在は忘れ去られていった。しかし、中台交流が高まり国民党系軍人の再評価がなされるようになった1990年代に名誉回復がなされた。

2006年、四川省政府より革命烈士に批准される。2016年8月31日、母校明徳中学に銅像が建てられる[7]

撃墜記録[編集]

日期 敵機 結果 使用機 場所 所属部隊
1937年
8月15日
三菱 八九式艦上攻撃機 撃墜 カーチス・ホークⅢ英語版 #2204 杭州 四大隊22中隊
8月15日 八九式艦上攻撃機 撃墜 カーチス・ホークⅢ 四大隊22中隊
8月15日 八九式艦上攻撃機 撃墜 カーチス・ホークⅢ 四大隊22中隊
8月15日 八九式艦上攻撃機 撃墜 カーチス・ホークⅢ 四大隊22中隊
8月21日 戦闘機(機種不明) 撃墜 カーチス・ホークⅢ 上海 四大隊22中隊
9月20日 軽爆撃機(機種不明) 撃墜 カーチス・ホークⅢ #IV-1
(四大隊大隊長機)
江蘇鎮江 四大隊22中隊

家族[編集]

  • 父:元武官で、四川各地に水たばこ農地を保有し、茶荘「義豊全」を経営。また「裕豊厚」の商号で調度品も販売していた。1936年1月31日死去。
  • 母:邱福 - 藏族[4]
    • 長兄:以壎 - 歯科医。1930年、華西協合大学牙科(現四川大学華西医学センター中国語版)卒業。済南市で歯科医を開業し、馮玉祥韓復榘西北軍首脳部の御用達であった。戦後は川西区人民代表や川西後勤部医院歯科主任を務めるが、文革で迫害され1967年死去。
    • 長姉:以正 - 孟体廉(ペンシルベニア州立大学卒、成都中央軍校上校政治教官、西康省政府社会調査処処長、1950年代に粛清)と結婚
    • 次兄:以箎 - 産婦人科医。華西協合大学医科卒業。嘉定仁済医院院長。
    • 次姉:以成 - 産婦人科医。1932年華西協合大学医科卒業。医学博士。谢锡瑹(整形外科医、華西協合大学医学院教授、四川省人民医院院長)と結婚。全国人大代表、全国政協委員。2004年死去。
    • 三兄:以均 - 版画家。四川美術専科学校(四川省芸術専科学校、現四川美術学院中国語版の事か)卒業。日本に留学経験もあり。戦時中は抗戦画製作にかかわる。文革時代は迫害されたが、改革開放後に名誉回復し四川省文史研究館職員。
    • 三姉:以熙
    • 四姉:以笙
    • 四兄:以純 - 本名・楽以琴。華西協合大学製薬専科、中央航校8期卒業。戦後台湾に逃れ、ボストンに移住。
    • 五姉:以雍 - 内科医、小児科医。1938年華西協合大学医科卒業。成都市第二人民医院に勤務。易明志(華西協合大学医科卒、外科医)と結婚。1974年死去
    • 五兄:以和 - 歯科医、四川省衛生庁医学科技評審委員会委員。2000年死去
    • 六姉:以純 - 1932年華西協合大学医科卒業。のち呉和光(外科医、四川医学院附属医院長、医学博士)と結婚。子に呉大可(放射線技師、電子科技大学教授、AAPM会員[8])大勇(医療設備技師)など。2004年12月26日死去[9]
    • 妹:出生後間もなく死亡
    • 弟:以雅 - 銀行員。上海光华大学経済学部卒業
  • 次弟:以本 - 中学教師。文革で迫害され1961年死去[10]
    • 次弟:以倫 - 華西協合大学理学院化学専攻卒業。成都工学院、成都科技大学、四川大学教授。
    • 三弟:以斌 - 少校。雲南遠征軍に参加。文革で迫害され1962年死去。
    • 次妹:以清 - 中学教師。1940年ごろに華西協合大学文学院を卒業。軍人の楊仲德と結婚し、台湾に逃れる
  • 叔父:和済 - 字は作舟。元秀才。青年期は上海で宣教活動に関わっており、蘆山県内で教会の設立や事務管理に関わったり、華西協合大学の寮の管理人を務めた[11]
  • 叔父:和澄 - 武官。四川法政学堂卒業後、馮玉祥の部隊に所属していたが海外で客死

栄典[編集]

  • 五星星序奨章

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 空軍英烈中国文化大学データベース
  2. ^ “空中骁将”李桂丹” (中国語). 中國國防動員網. 2018年3月25日閲覧。
  3. ^ “乐以琴后人捐赠“飞将军”36件珍贵物品” (中国語). 四川在线. (2014年10月1日). http://news.chengdu.cn/content/2014-10/01/content_1554307.htm 2017年10月22日閲覧。 
  4. ^ a b 第四大队二十一中队副中队长 乐以琴” (中国語). 中国飛虎研究学会. 2018年3月25日閲覧。
  5. ^ a b 中山(2007年)、312-313頁。
  6. ^ 中山(2007年)、299-300頁。
  7. ^ “【雅安】纪念“9·3”著名抗日英烈乐以琴铜像在雅安落成揭幕” (中国語). 四川经济网. (2016年9月1日). http://www.scjjrb.com/html/xwpd/szzh/77393.html 2018年3月25日閲覧。 
  8. ^ “我国著名放疗物理学家吴大可教授受聘中珠专委会”. 中珠医疗. (2016年5月13日). http://www.zz600568.com/news/v2.html 2017年10月22日閲覧。 
  9. ^ “医学豪门送走慈祥老人”. 成都商報. (2005年1月1日). http://news.sina.com.cn/s/2005-01-01/06044686123s.shtml 2017年10月22日閲覧。 
  10. ^ 四川拒归还抗战名将乐以琴家族千平米房产”. 六四天网. 2017年10月22日閲覧。
  11. ^ “四川首个医学女博士 女扮男装逃到成都求学”. 华西都市报. (2012年9月13日). https://e.thecover.cn/shtml/hxdsb/20170913/55114.shtml 2017年10月22日閲覧。 
  12. ^ “俳優・舞踊家・実業家 黄実氏が「八面六臂」の活躍”. 人民日報. (2014年6月26日). http://www.infochina.jp/jp/index.php?m=content&a=show&catid=16&id=4186 2017年10月22日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 中山雅洋 『中国的天空(上)沈黙の航空戦史』 大日本絵画、2007年。ISBN 978-4-499-22944-9
  • 国民党中央委員会党史編纂委員会『革命人物史 第十五集』中華印刷廠、1976年6月 PP.353-356

外部リンク[編集]