楽々園遊園地

この記事は良質な記事に選ばれています
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楽々園遊園地
施設情報
キャッチコピー 電車で楽々行ける遊園地
管理運営 広島瓦斯電軌株式会社 →
広島電鉄株式会社 →
有限会社楽々園 →
広島電鉄株式会社 →
広電観光株式会社 →
株式会社広電楽々園
面積 約1万坪
開園 1936年昭和11年)9月8日
閉園 1971年昭和46年)8月31日
所在地 広島県佐伯郡五日市町海老塩浜[注釈 1]
位置 北緯34度21分43.4秒 東経132度21分8.4秒 / 北緯34.362056度 東経132.352333度 / 34.362056; 132.352333座標: 北緯34度21分43.4秒 東経132度21分8.4秒 / 北緯34.362056度 東経132.352333度 / 34.362056; 132.352333
テンプレートを表示
株式会社広電楽々園
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
広島県広島市中区東千田町二丁目9番29号[1]
設立 1960年(昭和35年)4月1日[2]
事業内容 飲食店事業
代表者 高石稔[1][注釈 2]
資本金 2000万円[1]
従業員数 16人[1]
特記事項:以上の情報は合併直前の『広島商工年鑑'92』の情報に基づく
テンプレートを表示

楽々園遊園地(らくらくえんゆうえんち)は、広島県佐伯郡五日市町海老塩浜[注釈 1]にかつて存在した遊園地[4]広島瓦斯電軌[注釈 3]の電鉄部門[6]の土地経営事業[7]により開発された[8]

閉園後の跡地には、ショッピングセンターファミリータウン広電楽々園」が建設されている。

歴史[編集]

開園まで[編集]

名称は「電車楽々行ける遊園地」というキャッチフレーズに由来し[4][9][10]、一般公募により命名された[11]。また開園当初は「中国地方宝塚」を目指していた[8]

江戸時代には、楽々園のあたりは「海老塩浜」と呼ばれ、塩田での製塩が盛んな地域であった[12]万治年間(1658年から1661年)に干潟干拓して塩田を造成[12]。毎年1000を生産していたと『芸藩通志』に書かれている[12]。しかし1897年(明治30年)頃になると、輸入塩などの増加により、小規模塩田だった海老塩浜での塩精製業は厳しくなり[13]、塩の専売制導入と塩田業の整理施策により1911年(明治44年)に当地での塩田業は廃業した[14]

観光地としては1897年明治30年)頃から、夏場は多くの海水浴場海老山周辺で営業していた[15]

箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)による宝塚新温泉などの開発の成功により[16]、当時日本国内で全体的に行われていた鉄道会社による沿線観光振興により設置された娯楽施設の一つである[16]。広島瓦斯電軌の電鉄部門の土地経営事業の中心事業として[7]、観光客誘致を目的とした大衆向け娯楽施設を計画[7]1919年大正8年)時点の計画書で、場所は未定ながら住宅・運動場・潮湯場・海水浴場の整備を事業計画内で謳っていた[16]。しかし、当時の宮島線の沿線人口だけでは、十分な効果は期待できなかった[17]

1927年昭和2年)頃より五日市町海老塩浜地区の農耕地住宅地造成を開始[18]1935年(昭和10年)に、埋め立てを開始[19][注釈 4]。約5万坪(約165,289 m2)を埋め立て[20]、住宅地中央部の[21]約1万(約33,058 m2)を遊園地用地に[20]、残りを住宅地にした[20]。造成された住宅地は「塩浜住宅」と呼ばれた[18]。埋め立てに使われた砂は、南側の海底の砂をサンドポンプで浚渫して使用[19]。表面は同じ町内の城根山の土で覆った[19]

1936年(昭和11年)より住宅地の販売を開始[18]。宅地購入者への特典として、4年間宮島線および市内線で使える優待券を進呈し[19]、その優待券で楽々園遊園地に入園出来るようにした[19]

1936年(昭和11年)7月30日より海水浴場の営業を開始[20]。同年9月8日に楽々園遊園地および温泉施設が開園した[22]。開園当初は広島瓦斯電軌の直営事業だった[23]

開園から第二次世界大戦終戦まで[編集]

開園当初の園内には、遊戯場・売店・プール・休憩所を整備され[24]、夏場には南側の砂浜で海水浴場が営業した[24]1938年(昭和13年)に撮影された動画には、ミニSL・ゴーカート・プール・猿山などが撮されている[21]。また、海水浴場はきめの細かい白い砂が印象的だったとする証言もある[25]

開園日当日に温泉本館もオープン[10][26][注釈 5]。館内には、真湯・潮湯・薬湯・家族湯の温浴施設のほか[10]、大食堂や演芸室なども整備された[10][26][注釈 6]

開園当初は、春は花見[27]。夏は海水浴[27]。秋は菊の展示会で賑わった[27]。またラジオ体操のイベントか開催され広島地区の新名所になった[28][20]。開園効果は宮島線の乗客数にも影響を与え、1935年(昭和10年)の306万人から1936年(昭和11年)は329万人に増加した[29]。その後も、海水浴シーズンを中心に来場者を集めた[30]

また、遊園地周辺にも影響を与え、楽々園駅と遊園地の間に旧・五日市町でも数少ない商店街が形成[注釈 7]。また、1897年(明治30年)頃より海老園周辺には海水浴場が整備されていたが[33]、砂浜の減少や海水汚染なども重なり、楽々園遊園地に客を取られ衰退していった[8]

第二次世界大戦中もしばらくは営業を継続[30]1942年(昭和17年)の広島ガス広島電鉄の分離の時に、広島電鉄が引き継ぐことになった[5]1943年春頃に海軍および陸軍に関する展覧会を開催し[30]、場内には小型並状旋回飛行塔が設置され[30]、同年度上期の来場者数は26万人を数えた[30]。しかし、戦況の悪化により園内の田園化も検討されるようになり[30]1944年12月に休園[34]。施設は陸軍船舶部に貸し出された[34]。その後、物資の集積場として使われた[11]

第二次世界大戦終戦から閉園まで[編集]

1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下に伴い、本社要員を楽々園遊園地にも避難させた[35]。1945年(昭和20年)8月6日から1946年(昭和21年)8月30日まで広島電鉄の本社が置かれていた[36]

1947年(昭和22年)7月1日から[36]1951年(昭和26年)3月26日まで有限会社楽々園が委託して運営を行った[37]。その後、一時期は本社の直営になった後[37]1957年(昭和32年)10月1日から広電観光に賃貸され[38]、経営を移管[23]1960年(昭和35年)4月より広電観光から分離独立した[2]、広電楽々園が運営していた[39]

その間、旧・五日市町は周辺町村と合併し、1955年(昭和30年)4月1日に新・五日市町に移行した[40]

戦時中および戦後まもなくは衰退していたが[24]、昭和30年代(1955年から1965年)には、新規施設として観覧車やジェットコースターゴーカート、ウオーターシュート、プラネタリウムなどが整備され、[9][41][24]、夏にはプールが営業した[9][41]。温浴施設は、戦後「楽々園スパー」と呼ばれるようになった[9][41]。それらの施策により、第二次世界大戦前に匹敵する程の賑わいを見せた[11]

1957年(昭和32年)12月には、閑散期対策として、「楽々園スパー」と電車運賃を割り引く施策を実施[42]。好評だったため、1958年(昭和33年)4月に割引を通年化した[43]

1960年(昭和35年)3月19日にオープンしたプラネタリウムは[44]、中国地方初かつ大型の施設で[44]、千代田光学精工製[44][注釈 8]が設置。国産一号機とされた[44][注釈 9]。またプラネタリウムの付属施設として、翌1961年(昭和36年)5月に、楽々園天文台が設置された[45]。設置当時は広島県内最大の直径25cmの反射赤道儀が設置された[45][注釈 10]

1964年(昭和39年)から秋の催し物に加え、春の催し物も始まり人気を集めた[27]。秋の催し物も長年「菊人形展」がよく行われていたが、マンネリ打破のため[48]、前年の1963年(昭和38年)には「菊の忍者展」として、忍者を菊人形で作成[48]。伊賀の忍者館より歴史的資料を借りて展示し[48]、「菊の忍者展」は大盛況だった[48]。来場者数も増加し、年間60万人を突破した年もあった[24]

1964年(昭和39年)、埋め立ての進行により海水浴場は閉鎖[49][注釈 11]。その代替施設として、同年に閉園後もしばらく営業する「パラダイスプール」が開園した[27]。新しいプールは、鬼ヶ島一帯を整備[52]。総水面面積が約1,000坪(約 3,306 m2)の、大小3つのプールを整備した[52][注釈 12]。プール内にはクジラの形をした滑り台が設置された[54]。同年より開始した「臨海土地造成」で、元々海水浴場があった場所が埋め立て、造成された[55][56][注釈 13]

1966年(昭和41年)には、楽々園駅舎内に、喫茶店「楽々園パーラー」が営業を開始[2][57][58]1969年(昭和44年)に、増改築の上で、お好み焼き寿司焼肉を扱う「レストラン楽々園」にリニューアルし、遊園地閉園後もしばらく営業を続けた[2][57][58]

1969年(昭和44年)11月からは「パラダイスプール」に、開業当時日本一のテント式屋根方式のスケートリンクを設営し、「楽々園スケートリンク」として営業[59][60]。翌シーズンも営業した[61][注釈 14]。その他オフシーズンには、ローラースケート場やアーチェリー場として営業していた時期もあった[63]

しかし、夏場および休日以外の来場者は少なく経営に支障を与え[24]、1962年(昭和37年)以降来客数は減少[11][注釈 12]1970年(昭和45年)の秋頃から冬頃にかけて開店休業状態に陥り休園[24]1971年(昭和46年)8月31日に閉鎖された[64][注釈 15]。楽々園遊園地の閉園までに、約1,200万人の入場者が訪れた[27]

遊園地営業終了後の1971年(昭和46年)12月に住居表示が実施され[66]町名も「楽々園」となった。

なお、楽々園遊園地のプラネタリウム館長だった佐藤健は、1980年(昭和55年)の広島市こども文化科学館開館時に転籍し、プラネタリウム室長に就任した[67]

跡地のその後[編集]

ファミリータウン広電楽々園
ファミリータウン広電楽々園
楽々園遊園地の跡地に建設されたショッピングセンター
店舗概要
所在地 731-5136
広島県広島市佐伯区楽々園4丁目14
開業日 1972年(昭和47年)3月23日[68]
土地所有者 広島電鉄[71][72][73]
施設所有者 広島電鉄
中核店舗 マックスバリュ楽々園店[69](旧広電ストア楽々園店)
ヤマダ電機テックランド佐伯店[70]
営業時間 店舗により異なる
前身 楽々園遊園地

ひろでん楽々園ショッピングタウン
最寄駅 楽々園駅
テンプレートを表示

楽々園遊園地の跡地には、ショッピングセンターファミリータウン広電楽々園」が建設されている。

レジャー施設の変化[編集]

楽々園遊園地の閉園後、遊園地を運営していた広電楽々園は事業を継続し、楽々園駅の「レストラン楽々園」[注釈 16]、および「パラダイスプール」が継続営業した[74][75]。翌1972年(昭和47年)7月に「パラダイスプール」は幼児用プールを新設するなど改装した[76]

プールの晩年は、レジャーの多様化による客の伸び悩みと、オフシーズンの敷地の有効活用が困難だったことで、商業施設への集客効果を期待しての営業だった[63][注釈 17]

1972年(昭和47年)からは新規施設も整備され、同年の再オープン時の宣伝文句に「広電楽々園遊園地が装いも新たに、再出発しております」と宣伝していた[78]

同1972年4月29日には「和食レストラン楽良久」が開店した[2][注釈 18]

また、同1972年(昭和47年)5月10日にはボウリング場「広電楽々園ボウル」が新規開場した[2]。2014年(平成26年)6月1日時点でダイキがあった場所に位置し[86]、40レーンを有していた[86]。ボウリングブームの終焉により、1974年(昭和49年)3月31日をもって閉場した[87]。2014年6月1日現在、ボウリング場の建物は現存し継続利用されている。

同1972年(昭和47年)にはそのほか、ビリヤード場も整備された[88]

1973年(昭和48年)にはRCC興発により、日本初登場となるパターゴルフ[89]「楽々園パットパットゴルフ」が開園し[2][注釈 19]、人気施設となった[90]

会社としての広電楽々園は1991年(平成3年)12月31日に広電ストアへ吸収合併された[2]。「和食レストラン楽良久」および「楽々園パットパットゴルフ」は、広電ストアへの移管後もしばらくは営業を継続し[85]、「楽々園パットパットゴルフ」は1998年(平成10年)3月の廃止まで営業した[85]

「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の開業[編集]

楽々園遊園地の閉園後、一部施設は取り壊され[24]、跡地には広島電鉄子会社の広電ストア[注釈 20]により、総工費3億5000万円を掛け[94]1972年(昭和47年)3月23日[68][注釈 21]、ショッピングセンター「ひろでん楽々園ショッピングタウン」がオープンした[68]。食料品・衣料品売場は直営で[94]、28店舗の専門店がテナント出店[94]。200台収容できる駐車場が整備された[95]

1974年(昭和49年)6月30日には、閉場したボウリング場跡を整備して別館をオープン[96]。食料品売場を別館へ移し、元々あった建物は衣料品を充実させ[96]。家電製品も扱うようになった[96]。その登記・改装については大規模小売店舗法の発効直前に行われた[97]。店舗面積拡大の背景には、いづみの出店決定およびジャスコダイエーの進出の噂があり、地域一番店の立場を維持するために行ったものである[97]。同1974年3月にいづみ五日市店の出店計画が明らかになり[98]1977年(昭和52年)5月20日に「いづみ五日市店」(のちの「ゆめタウン五日市」)がオープンしている[99]

さらに1980年(昭和55年)3月には、本館を拡張する形で増床オープンした[100]

「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の屋上には、観覧車などがあるミニ遊園地が整備されていた[101]。改装直前の1998年の写真[102]には本館屋上に観覧車が写っている[101]。。

またバス路線等の整備も進められ、1981年(昭和56年)11月には、石内地区の利便性向上のため、敷地内にバスターミナルを整備してバス路線が乗り入れるようになった[101]

1984年(昭和59年)6月には、広島バス広島南営業所から分離・新設する形で「広電バス楽々園営業所」が設置された[103]

「ファミリータウン広電楽々園」へのリニューアル[編集]

ファミリータウン広電楽々園
右側は閉店した専門店街「ナイスデイ」棟。
左側は広電ストアが運営していた食品スーパー「マダムジョイ」楽々園店。マックスバリュ西日本への事業譲渡により「マックスバリュ楽々園店」へ転換。

1997年(平成9年)頃より、商圏内の競争激化に伴う競争力向上を目的に増床を計画し[104]、計画当初は4階建ての新館を建設する予定だったが[105]1999年(平成11年)7月より新食品館の建設を開始し[106]、同年10月に新食品館「マダムジョイ」として開店[107]。旧本館は専門店街「ナイスデイ」としてリニューアルした[107]。また併せて旧食品館も改装し、同年12月にダイキ[注釈 22]が運営するホームセンター「ディック」がオープンした[108]

この増床リニューアルに合わせ、施設名を「ひろでん楽々園ショッピングタウン」から複合商業施設ファミリータウン広電楽々園」に改称[107]。最終的には平屋建ての新館が建設され、このリニューアルにより広電ストア楽々園店は食品スーパーに特化することとなった[109]

「広電バス楽々園営業所」は2006年(平成18年)6月2日廿日市市宮園上へ移転し「廿日市営業所」となったが、『広島電鉄開業100年・創立70年史』の発行時点(2012年11月)で廃止されている[103]。旧広電バス楽々園営業所跡地には、2010年9月に「ヤマダ電機テックランド佐伯店」がオープン[110]2012年(平成24年)には、敷地内にもみじ銀行の支店が移転した[111]

2018年には広電ストアからマックスバリュ西日本への事業譲渡に伴い、新食品館の「マダムジョイ」が「マックスバリュ楽々園店」へ転換した。

2019年1月28日にはダイヤ改正により、旧広電バス楽々園営業所の閉鎖後も残っていた「ショッピング楽々園便」が廃止された[112]

2021年9月、専門店街「ナイスデイ」棟が老朽化のため閉店[113][114][115]2022年12月31日をもって「DCM楽々園店」(旧「ディック」→「ダイキ」→「DCMダイキ」、前述)も閉店した[116]

イオンタウンによるSC建設計画[編集]

上記の閉店した建物のうち、ナイスデイ棟は2022年7月までに解体を完了、ダイキ(DCM)が入居していた建物も2023年3月から解体が開始された[117]

2023年6月23日付で、 広島電鉄とイオングループイオンタウン株式会社(千葉市)は土地賃貸借契約を締結し、「ファミリータウン広電楽々園」の敷地のうち、これらの建物(「ナイスデイ」棟および「DCM楽々園店」)が解体された跡地に、イオンタウンがショッピングセンターを建設予定であることを発表[117][71][72][73]。この時点では施設内容や開店時期などの詳細については決定次第発表するとしており[72]、その後の2024年1月16日に、「イオンタウン楽々園」の名称で同年冬に開業予定であること、また「ファミリータウン広電楽々園」の敷地内の別の場所で営業しているマックスバリュ楽々園店(前述)も同所へ移転する予定であることがイオンタウンから発表された[118]。開業すれば広島県内では初となるのイオンタウンの商業施設となる(2023年6月現在)[73][注釈 23]

交通アクセス[編集]

  • 広島電鉄宮島線 楽々園駅
    • 1935年(昭和10年)12月1日「塩浜駅」として開設[120]。楽々園駅遊園地の開園当日に「楽々園駅」へ改称した[120]
    • なお、1965年(昭和40年)7月20日から1971年(昭和46年)8月31日まで、駅名が「楽々園遊園地駅」だった時期もある[120]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 1971年(昭和46年)住居表示導入および1985年(昭和60年)の町合併後は広島市佐伯区楽々園
  2. ^ 1990年まで広島電鉄の専務だった[3]
  3. ^ 1942年に広島ガス広島電鉄に再分離[5]
  4. ^ 2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園一丁目・二丁目・三丁目・四丁目あたり[19]
  5. ^ 1936年の開業当時の営業報告書に「温泉」と表記されているが温泉法施行以前のことなので、現在のスーパー銭湯に近いものだった可能性がある
  6. ^ 五日市町誌には、同年8月より温泉施設の営業を開始とある[20]
  7. ^ 1955年(昭和30年)の新・五日市町成立時店でも、旧・五日市町の道筋と楽々園遊園地前程度しか商店街がなかった[31]。2014年(平成26年)6月現在でも楽々園商店街として営業している[32]
  8. ^ 後のミノルタ[44]。会社の合併などで、現在はコニカミノルタ
  9. ^ 「国産一号機」の表記は疑問。プラネタリウムを参照。
  10. ^ 反射赤道儀は、閉園後に、ドームと合わせて鈴峯女子中学校・高等学校に移設[46]。2012年(平成24年)時点で壊れてはいるものの現存している[47]
  11. ^ 『輪苑 1989年5月号』には1962年(昭和37年)廃止とある[11]が、1963年(昭和38年)に海水浴場開きをしている事実[50]および、1964年(昭和39年)のプール設置時に「埋め立てにより失われた」とあるので[51]、1963年(昭和38年)まで海水浴場営業。1964年(昭和39年)からパラダイスプール営業と考えるのが自然と思われる。
  12. ^ a b 埋め立てにより、これまで遊園地の人工物と、海岸の自然物の組み合わせが崩れ、ハッとしなくなる問題について、1962年(昭和37年)5月の社長の言葉で述べている[53]
  13. ^ 2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園五丁目・六丁目・海老園三丁目の一部[55]
  14. ^ パティネ商会の持ち込み企画で、売り上げの10%を還元していた[62]
  15. ^ 営業最終年の1971年の社内報に「安佐動物公園の開設は痛手であると述べられている[65]
  16. ^ 1975年(昭和50年)8月31日廃止[2]
  17. ^ 1972年(昭和47年)・1973年(昭和48年)・1974年(昭和49年)・1976年(昭和51年)の社内報[76][74][75][77]、および同時期の中国新聞[78][79][80][81][82]に広告がある。1977年(昭和52年)および1978年(昭和53年)の企画広告には楽々園プールの掲載はない。[83][84]。晩年の1976年(昭和51年)の新聞記事ではプールを閉鎖し、他の利用法を模索する可能性にも触れられている[63]
  18. ^ 1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管[2]1995年(平成7年)に弁当センターへ業務委託。[85]
  19. ^ 18コース[89]1982年(昭和57年)8月直営化[2]。1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管[2]1998年(平成10年)3月廃止[85]
  20. ^ ショッピングセンター出店当時の社名は「広電興産」[91]1982年(昭和57年)に「広電ストア」へ商号に変更[91]2018年(平成30年)にスーパーマーケット事業をマックスバリュ西日本へ譲渡したのち解散。詳細は当該記事を参照。なお広電タクシーを1997年(平成9年)に改称した[92]、広電興産株式会社[92](2016年4月1日付で広島電鉄へ吸収合併[93])とは別会社。
  21. ^ 中国新聞の記事では「1973年4月23日オープン」とされており、『広島電鉄開業100年・創立70年史』と開業日に1年以上の食い違いがある[68]
  22. ^ のちのDCMダイキDCM
  23. ^ 2023年6月現在、イオンタウンの商業施設は中国地方では島根岡山山口の3県に所在する[119]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『広島商工年鑑'92』 1550ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『広島電鉄開業100年・創立70年史』396ページ
  3. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』357ページ
  4. ^ a b 【65年前にもあった】秘蔵映像で振り返る広島の遊園地”. HOMEニュース – 公式YouTube. 広島ホームテレビ (2022年3月27日). 2022年7月28日閲覧。
  5. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』91ページ
  6. ^ 『広島ガス80年史』 7ページ
  7. ^ a b c 『広島ガス70年史』 21ページ
  8. ^ a b c 『五日市町誌 中巻』 253ページ
  9. ^ a b c d 広島市広報紙 市民と市政 バックナンバー 平成22年 8月1日号 区報 佐伯区
  10. ^ a b c d 『広島ガス100年史』66ページ
  11. ^ a b c d e 『輪苑 1989年5月号』 27ページ(広島市広報誌『市民と市政』1989年5月1日号転載)
  12. ^ a b c 『五日市町誌 中巻』 203ページ
  13. ^ 『五日市町誌 中巻』 207ページ
  14. ^ 『五日市町誌 中巻』 208ページ
  15. ^ 『広島瓦斯電軌株式会社経営電車沿線案内』18ページ
  16. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』70ページ
  17. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編42ページ
  18. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』71ページ
  19. ^ a b c d e f 『五日市町誌 中巻』 280ページ
  20. ^ a b c d e f 『五日市町誌 中巻』 481ページ
  21. ^ a b ひろしま戦前の風景 - 中国放送
  22. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』429ページ
  23. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』160ページ
  24. ^ a b c d e f g h 『五日市町誌 中巻』 254ページ
  25. ^ 『広島市 新昭和の残像5 楽々園撮影会 水着姿に5000人群れ』 - 中国新聞 2001年8月11日 夕刊 1ページ
  26. ^ a b 『広島ガス60年史』93ページ
  27. ^ a b c d e f 『輪苑 1971年10月号』 裏内表紙
  28. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』72ページ
  29. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』73ページ
  30. ^ a b c d e f 『広島電鉄開業100年・創立70年史』95ページ
  31. ^ 『五日市町誌 中巻』 248ページ
  32. ^ 広島市佐伯区にある楽々園商店街のお店紹介
  33. ^ 『五日市町誌 中巻』 251ページ
  34. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』96ページ
  35. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編77ページ
  36. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ
  37. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』432ページ
  38. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』433ページ
  39. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』本編134ページ
  40. ^ 『五日市町誌 中巻』 58ページ
  41. ^ a b c 広島市広報紙 市民と市政 7月1日号 ページタイトル
  42. ^ 『輪苑 1957年12月号』 3ページ
  43. ^ 『輪苑 1958年04月号』 3ページ
  44. ^ a b c d e 『輪苑 1971年11月号』 26ページ
  45. ^ a b 『輪苑 1972年1月号』 22ページ
  46. ^ 『輪苑 1972年1月号』 23ページ
  47. ^ スズガミネジャーナル1206 - 鈴峯女子高等学校
  48. ^ a b c d 『輪苑 1971年11月号』 29ページ
  49. ^ 宮島街道いまむかし - 宮島街道
  50. ^ 『輪苑 1963年8月号』 6ページ
  51. ^ 『輪苑 1966年6月号』 6ページ
  52. ^ a b 『輪苑 1964年2月号』 4ページ
  53. ^ 『輪苑 1962年5月号』 14ページ
  54. ^ 『まちかどの記憶 広島市佐伯区楽々園 モデル撮影会 カメラ大衆化男性夢中』 - 中国新聞 2008年8月13日 夕刊 1ページ
  55. ^ a b 『五日市町誌 中巻』 282ページ
  56. ^ 『五日市町誌 中巻』 285ページ
  57. ^ a b 『輪苑 1969年2月号』 14ページ
  58. ^ a b 『輪苑 1969年4月号』 16ページ
  59. ^ 『日本一のテント式 楽々園』 - 中国新聞 1969年11月2日 9ページ
  60. ^ 『輪苑 1969年11月号』 裏表紙
  61. ^ 『輪苑 1970年11月号』 裏表紙
  62. ^ 『輪苑 1969年8月号』 21ページ
  63. ^ a b c 『レジャー産業夏の陣1 プール ジリ貧の経営状態 魅力づくりが今後の課題』 - 中国新聞 1976年8月10日 6ページ
  64. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』436ページ
  65. ^ 『輪苑 1971年1月号』 29ページ
  66. ^ 『五日市町誌 中巻』 66ページ
  67. ^ 『輪苑 1980年4月号』 2ページ
  68. ^ a b c d 『広島電鉄開業100年・創立70年史』437ページ
  69. ^ マックスバリュ楽々園店 マックスバリュ西日本株式会社、2023年6月26日閲覧。
  70. ^ テックランド佐伯店 株式会社ヤマダデンキ、2023年6月26日閲覧。
  71. ^ a b 広島電鉄株式会社との土地賃貸借契約締結について イオンタウン株式会社 ニュースリリース、2023年6月23日、2023年6月26日閲覧。
  72. ^ a b c イオンタウン/ファミリータウン広電楽々園のナイスデイ棟跡地に新SC”. 流通ニュース (2023年6月23日). 2023年6月26日閲覧。
  73. ^ a b c ファミリータウン広電楽々園内にイオンタウン 広島県内初、施設概要や開業時期未定”. 中国新聞デジタル. 中国新聞社 (2023年6月23日). 2023年6月26日閲覧。
  74. ^ a b 『輪苑 1973年6月号』 裏表紙
  75. ^ a b 『輪苑 1974年6月号』 6ページ
  76. ^ a b 『輪苑 1972年7月号』 26ページ
  77. ^ 『輪苑 1976年4月号』 背表紙
  78. ^ a b 中国新聞 1972年7月25日 12ページ 部分広告
  79. ^ 中国新聞 1973年7月20日 16ページ 部分広告
  80. ^ 中国新聞 1974年7月12日 11ページ 部分広告
  81. ^ 中国新聞 1975年7月10日 16ページ 部分広告
  82. ^ 中国新聞 1976年7月8日 4ページ 企画広告
  83. ^ 中国新聞 1977年7月14日 6ページ 企画広告
  84. ^ 中国新聞 1978年7月6日 10ページ 企画広告
  85. ^ a b c d 『広島電鉄開業100年・創立70年史』392ページ
  86. ^ a b 『輪苑 1971年11月号』 19ページ
  87. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』208ページ
  88. ^ 『輪苑 1972年5月号』 3ページ
  89. ^ a b 『輪苑 1973年9月号』 3ページ
  90. ^ 『五日市町誌 中巻』 259ページ
  91. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』439ページ
  92. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』395ページ
  93. ^ 子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ 広島電鉄株式会社、2006年1月25日、2023年6月26日閲覧。
  94. ^ a b c 『きょうオープン 広島県下初の"郊外型"ショッピングセンター 広島市外五日市町』 - 中国新聞 1973年4月23日 6ページ
  95. ^ 『輪苑 1972年4月号』 表内表紙
  96. ^ a b c 『輪苑 1974年8月号』 2ページ
  97. ^ a b 『輪苑 1974年12月号』 12ページ
  98. ^ 『郊外型ショッピングセンター 「いづみ」が二店目建設へ 五日市町(広島県)に来春完成』 - 中国新聞 1974年3月20日 6ページ
  99. ^ 『挑戦の流儀』 - 256ページ
  100. ^ 『輪苑 1980年12月号』 5ページ
  101. ^ a b c 『輪苑 1981年11月号』 7ページ
  102. ^ 『輪苑 1998年12月号』 12ページ
  103. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』391ページ
  104. ^ 『輪苑 1997年12月号』 10ページ
  105. ^ 『広電ストア 楽々園店リニューアル 4階建ての新館建設へ』 - 中国新聞 1997年7月29日 9ページ
  106. ^ 『輪苑 1999年7月号』 10ページ
  107. ^ a b c 『輪苑 1999年11月号』 2ページ
  108. ^ 『広電ストア楽々園にディックをオープン ダイキ』 - 中国新聞 1999年12月7日 7ページ
  109. ^ 『広電ストア楽々園店 きょう改装オープン ホームセンターも併設へ』 - 中国新聞 1999年10月15日 10ページ
  110. ^ 『輪苑 2010年10月号』 12ページ
  111. ^ 『もみじ銀行 楽々園のSC内に五日市支店移転へ』 - 中国新聞 2012年6月14日 7ページ
  112. ^ 1/28(月) 佐伯線一部区間の自主運行バス移管ならびにダイヤ改正について”. 広島電鉄 (2019年1月18日). 2019年1月26日閲覧。
  113. ^ 広電、佐伯区の「ファミリータウン」1棟閉館 9月末、建物が老朽化”. 中国新聞デジタル. 中国新聞 (2021年2月12日). 2023年6月1日閲覧。
  114. ^ 【閉店】ファミリータウン広電楽々園 NICE DAY 2021年9月30日(木)閉店 開店閉店.com、2021年10月2日、2023年6月26日閲覧。
  115. ^ 快足屋ウォーキング楽々園店 閉館閉店セール開催中”. 快足屋 (2021年6月26日). 2023年6月1日閲覧。[リンク切れ]
  116. ^ 【広島県】DCM楽々園店 2022年12月31日(土)閉店のお知らせ”. DCM (2022年12月31日). 2023年6月1日閲覧。
  117. ^ a b 楽々園における土地賃貸借契約の締結について”. 広島電鉄 (2023年6月23日). 2023年9月2日閲覧。
  118. ^ 「イオンタウン楽々園」の出店について』(プレスリリース)イオンタウン、2024年1月16日https://www.aeontown.co.jp/pdf/office/store/storage/cname_20240116130830.pdf2024年1月25日閲覧 
  119. ^ 全国SC一覧 イオンタウン株式会社、2023年6月26日閲覧。
  120. ^ a b c 『広電が走る街今昔』156ページ

参考文献[編集]

社史
  • 『広島電鉄開業80創立50年史』(広島電鉄株式会社社史編纂委員会編) 1992年11月
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』(広島電鉄株式会社社史編纂委員会編) 2012年11月
  • 『広島ガス60年史』(広島ガス株式会社) 1971年
  • 『広島ガス70年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1981年10月
  • 『広島ガス80年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1990年6月
  • 『広島ガス100年史』(広島ガス株式会社100年史編集事務局編)2010年3月
社内報
  • 『輪苑』(広島電鉄社内報)各バックナンバー
町誌
  • 『五日市町誌 中巻』(五日市町誌編集委員会) 1979年
一般書
新聞

関連項目[編集]

外部リンク[編集]