極楽寺 (岡崎市)

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極楽寺
所在地 愛知県岡崎市中町北野東21
位置 北緯34度57分27.75秒 東経137度10分42.24秒 / 北緯34.9577083度 東経137.1784000度 / 34.9577083; 137.1784000座標: 北緯34度57分27.75秒 東経137度10分42.24秒 / 北緯34.9577083度 東経137.1784000度 / 34.9577083; 137.1784000
山号 大雲山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1575年天正3年)
開基 別当慶安周賀
札所等 三河三十三観音霊場 番外
法人番号 8180305000125 ウィキデータを編集
極楽寺 (岡崎市)の位置(愛知県内)
極楽寺 (岡崎市)
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極楽寺(ごくらくじ)は、愛知県岡崎市中町にある曹洞宗寺院

概要[編集]

極楽寺山門

永禄9年(1566年)6月、徳川家康岡崎城中に新田白山社を建立。その新田白山社の別当慶安周賀が開山したものといわれている。天正3年(1575年)6月に周賀が現在の地に移転して創建した。本寺の開創については、周賀の姪で家康の乳母の局の尽力によるところが多いといわれ、局の文字を瓦に用い局寺とも呼ばれた。

天正14年(1586年)4月12日の家康朱印状で2石5斗2升の地と山が安堵された。そして寛永13年(1693年)11月9日付の徳川家光朱印状でこれが朱印高とされた。その後衰退したが、元禄2年(1689年)に龍海院の僧石泉孤円が再興し、龍海院末とされた。石泉の次の鉄舟宗海の代にそれまでの福応山を改号した。

1945年昭和20年)7月20日岡崎空襲により焼失。1985年(昭和60年)、鉄筋コンクリート構造の本堂等が再建された。

江戸中期の伝馬町の塩問屋で文人の国分伯機や[1]宗徧流茶道の継承者の龍渓和尚[2]の墓がある。

札所[編集]

交通手段[編集]

  • 名鉄バス:市民病院方面「徳王神社前」停留所下車、北へ500メートル。

脚注[編集]

  1. ^ 過去の展覧会 岡崎城下町の文芸 | 岡崎市美術博物館ホームページ
  2. ^ 龍渓が1831年天保2年)に建てたと言われる茶室「等澍庵」が現在東公園内に保存されている。

参考文献[編集]

  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、160頁。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、66-67頁、77頁頁。