楊伯峻

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楊伯峻

楊 伯峻(よう はくしゅん、拼音: Yáng Bójùn、1909年 - 1992年)は、中国言語学者。原名は徳崇。文言文法・虚詞研究、古籍の整理・訳注に多大な貢献をした。湖南省長沙生まれ。

生涯[編集]

1909年、湖南省長沙生まれ。 叔父で言語学者の楊樹達に師事。1926年、北京大学合格。1931年、黄侃に師事。1932年、北京大学中文系卒業。 その後、中等学校教員、馮玉祥将軍研究室成員、中山大学講師、湖南省『民主報』社長を歴任。[1]

1926年、北京大学在学中に中国共産党入党。1932年、中国共産党と音信不通となり、1948年に長沙で再入党し、長沙工委の書記を務めた。[2]

湖南省政治協商会議事務局長、中国共産党湖南省委員会統戦部弁公室主任、北京大学中文系副教授も務めた。1957年、反右派闘争の中、北京大学中文系副教授として在職中に右派の烙印を押された。[3][4]

その後、蘭州大学中文系副教授となる。1960年、再び北京に赴任し、中華書局編集、北京大学歴史系教授となる。その後、中国語言学会理事、国務院古籍整理出版規劃小組顧問を務めた。[1]

著作[編集]

中国古典文法・虚詞関連[編集]

  • 楊伯峻『中国文法語文通解』(商務印書館、1936年)
  • 楊伯峻『文言語法』(北京出版社、1956年)
  • 楊伯峻『文言文法』(中華書局、1963年)
  • 楊伯峻『文言虚詞』(中華書局、1965年)
  • 楊伯峻『古漢語虚詞』(中華書局、1980年)
  • 楊伯峻・田樹生『文言常用虛詞』(湖南人民出版社、 1983年)
  • 楊伯峻・徐提編『春秋左伝詞典』(中華書局、1985年)
  • 楊伯峻・何楽士『古漢語語法及其発展』(語文出版社、1992年)

古籍整理・訳注関連[編集]

  • 楊伯峻『列子集解』(龍門聯合書局、1958年)
  • 楊伯峻『論語訳注』(中華書局、1958年)
  • 楊伯峻『孟子訳注』(中華書局、1960年)
  • 楊伯峻『春秋左伝注』(中華書局、1981年)

その他[編集]

  • 楊伯峻『列子著述年代考』(藝文印書館、 1971年)
  • 楊伯峻・金儒杰『楊伯峻学術論文選輯』(神州図書公司、 1983年)
  • 楊伯峻『楊伯峻学術論文集』(岳麓書社、 1984年)
  • 楊伯峻『楊伯峻治学論稿』(岳麓書社、 1992年)
  • 文史知識編輯部『経書浅談』(中華書局、1984年)
    • 楊伯峻『経書浅談』(中華書局、2004年)
  • 左言東編著・楊伯峻審定『中国政治制度史』(浙江古籍出版社、1986年)
  • 楊伯峻『楊伯峻自伝』(載中国現代社会科学家伝略第4輯、山西人民出版社、1983年、125-131頁)
    • 楊伯峻『自伝』(古籍整理研究学刊1990年04期)

日本語訳[編集]

  • 『中国文語文法』(波多野太郎・香坂順一・宮田一郎訳、 江南書院) - 『文言語法』(1956年)の翻訳
  • 『漢文文法と訓読処理―編訳『文言文法』』(二松学舎大学) - 『文言文法』(1983年)の翻訳

脚注[編集]

  1. ^ a b 杨伯峻,中国出版集团公司,2010-01-19 Archived 2011-09-27 at the Wayback Machine.
  2. ^ 杨逢彬、杨柳岸,近世训诂学巨子 ———记湖南省文史研究馆首任馆长杨树达,世紀2008年4月总091期(20)
  3. ^ 杨逢彬,杨树达先生之后的杨家(一),东方早报,2010-01-17”. 2014年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月9日閲覧。
  4. ^ 欧阳周,不随寒暑换贞心——深切怀念杨伯峻老师,红网,2010-09-05”. 2020年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月10日閲覧。