植田重太郎

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植田 重太郎(うえだ じゅうたろう、1860年万延元年10月[1][2]) - 1897年明治30年)1月14日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

摂津国島下郡(のち大阪府三島郡味舌村→味舌町→三島町、現・摂津市)生まれ[1]。農業を営んだ[2]

1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において大阪6区から自由党所属で立候補して当選する[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選した[4]。衆議院議員は1期務め、1897年に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、68頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』96頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』15頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。

参考文献[編集]

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。