植村伴次郎

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植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年3月30日 - )は、日本の実業家、東北新社創業者[1][2]

経歴[ソースを編集]

1929年3月、秋田県由利郡東滝沢村前郷(後の由利本荘市)に生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ[2]。戦時中には、群馬県小泉町(後の大泉町)にあった中島飛行機の工場への学徒動員を経験した[2]

1945年3月、旧制本荘中学校(秋田県立本荘高等学校の前身)を卒業[2]

1961年4月に、東北新社を創業し、代表取締役社長となり、長く経営に当たった[1][2]。創業当初の東北新社は、7人ほどの人員で業務を行なっており、植村も自ら吹き替えの演出などにあたっていた[3]

1973年7月に俳優の労働組合である日本俳優連合がデモと抗議行動を行なった際には、経営者側の代表として厳しくこれに対峙した[4]

東北新社では、2003年6月に代表取締役会長、2009年6月に最高顧問となったが、この間、オムニバス・ジャパン二番工房スター・チャンネル等の代表取締役社長や、日本音声製作者連盟会長、BSデジタル放送推進協会理事、日本アド・コンテンツ制作社連盟副理事長、衛星放送協会会長、デジタルコンテンツ協会副会長、社団法人日本ケーブルテレビ連盟理事、日本音楽財団理事などを歴任した[1]

2010年、内閣府令の改正で役員報酬総額1億円以上の役員の氏名を有価証券報告書に記載することが義務づけられた直後には、6億円弱の取締役退職慰労金を含め、2010年3月期の報酬総額が6.75億円であったことが報じられた[5]2011年5月より2014年3月にかけて、自身が創業者・最高顧問であった縁から、故郷の由利町の町域を横断する由利高原鉄道の列車に『宇宙戦艦ヤマト』のラッピングが施されていた[6]

2012年には、旭日小綬章を受章し、また、放送批評懇談会の第3回志賀信夫賞を受賞した[1]2015年3月には、由利本荘市から同市にとって遠藤章に次いで第2号となる「名誉市民」の称を贈られた[2]

関係したおもな作品[ソースを編集]

映画[ソースを編集]

テレビ・アニメ[ソースを編集]

OVA[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ a b c d 記者会見 第49回ギャラクシー賞 (PDF)”. 放送批評懇談会 (2012年5月21日). 2015年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 市長室から こんにちは【由利本荘市誕生10周年記念式典編】”. 由利本荘市 (2015年3月22日). 2015年12月23日閲覧。
  3. ^ 第二回 007シリーズ"TV放送吹替ディレクターに聞く 〜加藤敏&佐藤敏夫〜 聞き手:とり・みき”. 007fukikae.com/キングレコード. 2015年12月23日閲覧。
  4. ^ ■日本俳優連合30年史■ 本編 1971年~1975年 俳優による初のデモ、そして24時間出演拒否へ”. 日本俳優連合. 2015年12月23日閲覧。
  5. ^ 東北新社植村氏6.75億円、信越化会長5.35億円-報酬一覧”. ブルームバーグ (2010年6月30日). 2015年12月23日閲覧。
  6. ^ [1]
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 植村伴次郎 - allcinema
  8. ^ a b c d e f g h i j k 植村伴次郎 - KINENOTE