森祐理

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森 祐理(もり ゆり)は、大阪府堺市南区高倉台出身のゴスペルシンガーである。

人物・経歴[編集]

ミッションスクール付属の幼稚園に通っていた。元々は仏教の家庭で生まれ育ったが、小4の時、母親が自宅で経営していた英会話教室にやって来たアメリカ人宣教師に出会い、堺市立高倉台小学校6年生の時に日本メノナイト・ブレザレン教団泉北キリスト教会日曜学校に通い始める。最初は森祐理本人のみが教会に通っていたが、やがて家族全員で教会に通う様になり、高校2年生の時に洗礼を受けた。

小学生の時から宝塚ファンで、堺市立三原台中学校大阪府立泉陽高等学校の卒業文集共に、「将来は宝塚の女優になりたいです。」と書いていた。しかし、声楽を教わっていた教師から、「背が小さ過ぎる。もし、宝塚に入れても、後ろで踊る事しか出来ないから、歌を歌って、歌手になりなさい。」と言われ、歌手への道を歩み始めた。

泉陽高校卒業後、京都市立芸術大学音楽学部声楽専修に進学し、学生時代は、世界福音伝道団洛西キリスト教会で活動を行っていた。大学卒業後、NHK教育テレビ『ゆかいなコンサート』の歌のお姉さんとして活躍した他、テレビ、ラジオにも出演。又、数多くのミュージカルでも活躍した。

NHK京都放送局『くらしのチャンネル』リポーター、キリスト教系テレビ『ハーベスト・タイム』でもレギュラー出演していた。

また、阪神・淡路大震災で、当時神戸大学法学部4年生(読売新聞内定していた)の、東灘区下宿をして居た弟・渉(わたる、彼も泉陽高校の卒業生である)が亡くなった事で失望の中にあったが、「失望を希望に変えたい」と神戸に住む知人の映像制作プロダクション代表者に相談し、その知人のプロデュースで1995年3月から1997年2月まで『希望の翼コンサート』が開催された。希望の翼コンサートは、西宮市を皮切りに神戸市内・阪神間・淡路島の各地で開催され、宝塚の老人福祉施設を最終回として炊き出しのあった公園、焼け野が原の特設ステージ公園でのストリート形式、幼稚園や保育所の一室を借りて等、信仰の壁をも乗り越えて約30箇所で開催され主幹アーティストとして出演した。尚,震災で亡くなった弟は,五百籏頭真のゼミ生であり、泉北キリスト教会で行われた弟の告別式では、五百籏頭氏も来て弔辞を読んだ。

この活動終了と同時に発売されたシングルCD『幸せ運べるように』は、その後も各地の被災地で歌い継がれ、台湾語にも訳され、台湾でも歌われている。

2009年春からは大阪市在住で、ニューライフキリスト教会の教会員であり、教会・福祉施設・刑務所等で年間100回以上のコンサートを行っている。

2006年には、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンのアソシエート・アーティストおよび日本国際飢餓対策機構の親善大使に就任。 新潟県中越沖地震スマトラ島沖地震では現地で被災者を励ますコンサートを行った。

2007年10月には初の作詞となる歌が収録された『優しさのとびら』をリリース。

主な作品[編集]

CD[編集]

  • しあわせ運べるように
  • ワンダフルギフト
  • 心のふるさと〜童謡から賛美歌へ〜
  • 愛心的虹橋(台湾語)
  • 幸福帯到毎個人心房(台湾語)
  • スクリーン―映画の中の賛美歌―
  • My Dear-あなたに-
  • Touching The Hearts―光の中へ―
  • クリスマスの贈り物
  • True Love
  • 優しさのとびら

ビデオ[編集]

  • ヴェジテールズ(声の出演、『アスパラガスジュニア』役)
  • ハーベスト・セレクション〜希望の翼はばたく〜

[編集]

  • 賛美(うた)の翼にのせて
  • モリユリの手話賛美
  • 歌の旅をつづけて
  • 喪失が希望に変わるとき

外部リンク[編集]