森田民夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森田 民夫(もりた たみお、1902年明治35年)7月18日[1][注 1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚

経歴[編集]

和歌山県那賀郡に生まれる[2]1928年(昭和3年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業し、同年高等試験行政科に合格[2]1930年(昭和5年)4月、台湾総督府内務局に出仕する[2]1933年(昭和8年)10月、地方理事官となり新竹州中壢郡守に任じ、花蓮港庁庶務課長、府事務官、興亜院事務官、官房情報課長などを歴任し、1942年(昭和17年)1月に官を辞し、皇民奉公会中央本部参事となった[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『台湾人士鑑 昭和12年版』360頁では7月17日生。

出典[編集]

参考文献[編集]