棍棒外交

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トーマス・ナストen)が描いた1904年の風刺画。ガリバー旅行記に模している。

棍棒外交(こんぼうがいこう、Big Stick DiplomacyあるいはBig Stick Policy)は、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの外交政策。

概要[編集]

米英戦争以来の米国外交方針の国是となっていたモンロー主義に基づき、西半球に積極的に介入した外交政策を指す。セオドア・ルーズベルトが主張したことは、米国は西半球に、欧州諸国が介入するのを妨げる権利のみならず、砲艦外交をちらつかせる権利を持つということである。この外交方針により、アメリカ合衆国海軍が拡張され、米国は積極外交を仕掛けることとなった。ケネディのキューバ、レーガンのグレナダなどの中南米強硬政策の先鞭をつけた。

この政策は彼の後継である、ウィリアム・H・タフトドル外交en)に引き継がれることとなった。

棍棒外交の例[編集]

結果[編集]

結局のところ、近隣諸国が自国の政府を維持出来ないならば米国が関与するという意味で、棍棒のフレーズは使われることとなった。ウィリアム・マッキンリー大統領暗殺直前の1901年9月2日ミネソタ州フェアen)でセオドア・ルーズベルトは、この棍棒という語句で初めて用いた。セオドア・ルーズベルトは、西アフリカの諺である「でっかい棍棒を手に持ってれば、穏やかな口調でも言い分は通る(Speak softly and carry a big stick, you will go far)」から棍棒の言葉を用いている。セオドア・ルーズベルトは、棍棒外交という言葉を用いて、攻撃的な外交政策を指揮していった。この政策に則り、1900年代の米国は国際的な政治力を増大してきたのであった。

関連項目[編集]