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梅ヶ畑銅鐸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅ヶ畑銅鐸 1号(左)・4号(右) (京都府指定有形文化財、京都文化博物館展示) 梅ヶ畑銅鐸 1号(左)・4号(右) (京都府指定有形文化財、京都文化博物館展示)
梅ヶ畑銅鐸 1号(左)・4号(右)
(京都府指定有形文化財、京都文化博物館展示)
梅ヶ畑遺跡の位置(京都市市街内)
梅ヶ畑遺跡
梅ヶ畑遺跡
梅ヶ畑遺跡の位置
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梅ヶ畑遺跡
(銅鐸出土地)
梅ヶ畑遺跡の位置

梅ヶ畑銅鐸(うめがはたどうたく、梅ケ畑銅鐸)は、京都府京都市右京区梅ケ畑向ノ地町の梅ヶ畑遺跡(梅ケ畑遺跡)から出土した銅鐸4個の総称。京都府指定有形文化財に指定されている。

概要

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京都盆地北西部、梅ケ畑丘陵の斜面から出土した銅鐸群である。1963年昭和38年)の宅地造成の際に発見されている。

銅鐸4個は、型式別にはいずれも外縁付鈕式、種類別にはいずれも袈裟襷文銅鐸で、4号鐸は荒神谷2号鐸と同笵関係にある。やや大きい1・3号鐸とやや小さい2・4号鐸からなり、発見時には大銅鐸の内部に小銅鐸が入れ子の状態で2個2組埋納されていたという(1・2号鐸と3・4号鐸が組み合う)[1]。いずれも鳴り物としての機能性が認められ、銅鐸としては古い段階に位置づけられる[2]

埋納時期は、弥生時代中期頃と推定される。周辺では弥生時代の集落は知られていないが[3]、銅鐸の一括埋納事例として、また京都市内では唯一の銅鐸出土例として重要視される。平成9年度には北側隣接地(梅ヶ畑祭祀遺跡)で発掘調査が実施されており、奈良時代から平安時代にかけても岩石を磐座とした祭祀行為がおこなわれたとして注目される。

銅鐸群は1984年(昭和59年)に京都府指定有形文化財に指定されている。

遺跡歴

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  • 1963年昭和38年)9月20日、宅地造成工事中に発見[1]
  • 1984年(昭和59年)4月14日、銅鐸4口が京都府指定有形文化財に指定。
  • 1997年平成9年度)、浄水場高区配水池新設に伴う北側隣接地(梅ヶ畑祭祀遺跡)の立会調査・発掘調査(京都市埋蔵文化財研究所、19981999年に報告)[4]

一覧

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梅ヶ畑銅鐸一覧[1]
名称 型式 文様 高さ 備考
1号鐸 外縁付鈕2式 4区袈裟襷文 現高29.2 cm 鈕部一部欠失
2号鐸 外縁付鈕2式 4区袈裟襷文 総高22.4 cm
3号鐸 外縁付鈕1式 4区袈裟襷文 現高23.5 cm 鈕部欠失
4号鐸 外縁付鈕1式 4区袈裟襷文 総高23.4 cm 荒神谷2号鐸と同笵

文化財

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京都府指定文化財

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  • 有形文化財
    • 袈裟襷文銅鐸 4口(考古資料) - 京都市右京区梅ヶ畑向地町出土。1984年(昭和59年)4月14日指定。

関連施設

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脚注

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  1. ^ a b c 京都の文化財 第2集 1984.
  2. ^ リーフレット京都No.389 2021.
  3. ^ 京都市の地名 1979.
  4. ^ 「梅ケ畑祭祀遺跡」『京都市内遺跡立会調査概報』平成9年度、京都市埋蔵文化財研究所編、京都市文化市民局、1998年(リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」)。
    「梅ヶ畑祭祀遺跡」『京都市埋蔵文化財調査概要』平成9年度 (PDF) 京都市埋蔵文化財研究所、1999年(リンクは京都市埋蔵文化財研究所)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 「梅ヶ畑遺跡」『京都市の地名』平凡社日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 978-4-582-49027-5 
  • 袈裟襷文銅鐸」『京都の文化財』 第2集、京都府教育委員会、1984年、37頁https://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/wp-content/uploads/2022/05/bunkazai02.pdf 
  • 「梅ケ畑遺跡出土銅鐸(リーフレット京都No.389)」京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館、2021年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。