桶平城
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桶平城 (宮崎県) | |
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別名 | 桶平塁、田原陣 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | 建造されず |
築城主 | 伊東氏 |
築城年 | 永禄11年(1568年) |
主な城主 | 佐土原遠江守 |
廃城年 | 永禄12年(1569年) |
位置 |
北緯32度1分14.92秒 東経130度52分04.81秒 |
桶平城(おけひらじょう/おけがひらじょう)は、宮崎県えびの市大字原田の丘陵「田原山」にあった砦、日本の城。 別名は桶平塁、または田原陣とも。
概要[編集]
標高295m(比高50mほど)の丘陵部にあり、頂上には階段状のテラスのようなものが存在していた。また北端に「馬乗り場」と称されるおよそ100mの長さの土塁もあったとされるが、宮崎自動車道建設に伴い土砂が削り取られており、北側の一部を除いて遺構はほとんど残されていない。
歴史[編集]
永禄11年(1568年)、日向国伊東氏の伊東祐安が、相良氏と連携して島津義弘の飯野城を攻めようと田原山に陣を布いたが、義弘に察知され睨み合いとなる。祐安はやむなく田原山に城を築いた。それが桶平城である。
祐安は桶平城に佐土原遠江守を置いて守らせていたが、同年11月に島津家臣の遠矢良賢と黒木実利がウズラ狩りの小勢を装い城兵を挑発、これに釣られ出陣した城兵は伏兵により大敗を喫している。翌年、伊東氏の家督を継いでいた伊東義益が急死したこともあり、伊東勢は桶平城を焼いて撤退した。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『えびの市の城館跡』:宮崎県えびの市教育委員会
- 『えびの市史 上巻』:えびの市郷土史編さん委員会
- 『日向記』