桜井吉晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桜井 吉晴(さくらい よしはる、? - 慶長10年(1605年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。越後国魚沼郡広瀬の地侍で、越後上杉氏家臣。通称・三介、三助。名を晴吉とするものもあるが誤記か。

略歴[編集]

天正6年(1578年御館の乱では上杉景勝を支持し、佐藤平左衛門らとともに広瀬城を守備し、翌天正7年(1578年)には下倉城に進軍して武功を挙げる。以後も平左衛門らとともに下倉城や栃尾城を牽制した。天正10年(1582年)からは越中に転戦し、天正12年(1584年根知城に配された。慶長3年(1598年会津移封後は檜原城に在城、慶長6年(1601年米沢移封後は260石を領した。

家督は慶長10年(1605年)に嫡子勘左衛門の次男義直が継いでいる。

登場作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 役名は「晴吉(はるよし)」。