桜井の訣別

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桜井の訣別」(さくらいのけつべつ)は、日本唱歌の一つ。楠木正成とその息子楠木正行の別れを歌った歌詞である。「青葉茂れる桜井の」、あるいは「大楠公の歌」ともいう。岡山後楽園内に建つ奥山朝恭作曲顕彰碑には、この歌の五線譜が「湊川」として刻まれている[1]

作詞は落合直文、作曲は奥山朝恭による。

概要[編集]

桜井の駅まで進軍して来た正成は意を決し、息子・正行を呼び、「兵庫へは討死覚悟で出陣するが、汝は故郷へ帰るように」と告げる。

正行は「いかに父上の命とは言えど、年若くとも死出の旅の供をしたい」と願い出る。

正成は「私の死後は尊氏の天下となろう、その日に備え成長し、国の為に天皇に仕えよ」と諭す。

さらに先年、天皇より賜った刀を差し出し、これを我が形見にせよと言い残し、「老いた母の元に帰れ」と正行に告げ、両者は泣く泣く別れ行く。

歌詞[編集]

1.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
  木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か

2.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
  汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ

3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
  未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅

4.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
  おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
  早く生い立ち大君(おおきみに) 仕えまつれよ国の為

5.この一刀(ひとふり)は住(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
  この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
  行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん

6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
  またも降りくる五月雨の 大空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
  誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を

7.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
  幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
  陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて

8.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
  吹く松風か白波か よせくる波か松風か
  響き響きて聞ゆなり つづみの音に閧(とき)の声

9.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
  死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
  太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より

10.斬りすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
   駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
   左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは

11.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵は
   後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
   奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ

12.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当りしが
   時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
   刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も

13.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
   刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
   戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば

14.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
   心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
   これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに

15.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
   憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
   水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらかた)の 心も清き湊川

脚注[編集]

関連項目[編集]