桂楽珍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつら 楽珍らくちん
桂(かつら) 楽珍(らくちん)
結三柏は、桂文枝一門定紋である。
本名 中山なかやま 行治ゆきはる
生年月日 (1962-04-26) 1962年4月26日(61歳)
出身地 日本の旗 日本鹿児島県大島郡天城町
師匠 桂文珍
出囃子 ワイド節
活動期間 1982年 -
活動内容 上方落語
家族 朝山下智徳(息子)
所属 吉本興業
受賞歴
ギャラクシー賞演芸部門(1993年)
「第10回バケツ稲づくりコンテスト」個人の部特別賞(2001年)
備考
上方落語協会会員

桂 楽珍(かつら らくちん、1962年4月26日 - )は、日本落語家。本名は中山 行治(なかやま ゆきはる)。出囃子は『ワイド節』[1]吉本興業所属。上方落語協会会員。鹿児島県大島郡天城町徳之島)出身。

来歴[編集]

徳之島で生まれ育ち、子供のころ河童と相撲をとったことがあると自称している[2]

鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、一度は和歌山県で就職するも桂文珍ヤングおー!おー!」や「花王名人劇場」での「老婆の休日」を聴いて落語に興味を持つ。1982年4月10日桂文珍に入門[1]。文珍の一番弟子となった。弟子入りを申し込む際、あまりの緊張からか出身の徳之島の方言で一方的にまくし立ててしまい、意思が全く伝わらなかったという。その際文珍は「いつ日本にお越しですか?」と切り返した[3]

ザ・パンダ」メンバーの弟子というつながりを持つ月亭かなめ(現在は銀河亭かなめ…八方門下)、林家染八(後の5代目林家小染4代目小染門下)、桂きん太郎4代小文枝門下)とともに、「DCデーシーブランド」というユニットを組んでいた。

人物[編集]

祖母には100歳を超える長寿の「カナブンさん」(父方)・「ウシさん」(母方)がおり、噺でときどきネタにされる。家族構成は6人兄弟である。母親は師匠・文珍のことを当初「親方」と呼んだ(2007年3月17日NHKの大相撲放送席でゲストの文珍談[出典無効])。

妻とは一度離婚歴がある。保証人を引き受けたことが原因で借金が重んで自己破産し、妻子を苦しめたくないという理由で離婚した。成長した娘が後押しして復縁した。初婚時にもうけた男子は、2008年に高砂部屋に入門して「朝山下智徳」を名乗った(2009年初場所限りで引退)[4][5]

NHK連続テレビ小説まんてん」の方言指導も務めた[6]

格闘技ファン(特に大相撲)で[1][6]、趣味は三線の演奏。

得意ネタ[編集]

子ほめ」「相撲場風景」「手水廻し」他に創作落語の「徳之島からオガメーラ」がある。

受賞歴[編集]

著書[編集]

出演[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 桂楽珍 - 上方落語協会(上方落語家名鑑)
  2. ^ 2008年11月22日放送の『藤井陣内のザ・レジェンド』での月亭八光の発言[出典無効]。また、2009年3月2日放送の「やりすぎコージー」(テレビ東京)でも紹介された[出典無効]
  3. ^ 2009年3月2日放送の「やりすぎコージー」(テレビ東京)で紹介された。[出典無効]
  4. ^ “元ホストが力士!ネオン街出身高砂部屋”. 日刊スポーツ. (2008年4月9日). https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20080409-345959.html 2019年3月27日閲覧。 
  5. ^ 朝山下智徳引退 小兵、負けがこみ逃走… - サンケイスポーツ2009年1月29日[リンク切れ]
  6. ^ a b 桂楽珍プロフィール - 吉本興業公式プロフィール

関連項目[編集]