桂文生

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桂 文生(かつら ぶんしょう)は、落語家名跡。当代は落語協会のHPには3代目と記載されている。三遊亭文生を含めると過去7人前後の文生が存在する。上方落語には同じ読みの「桂文昇」という名跡がある。


三代目 かつら 文生ぶんしょう
三代目 桂(かつら) 文生(ぶんしょう)
桂文生定紋「違い鷹の羽」
本名 たいら みのる
生年月日 (1939-08-23) 1939年8月23日(84歳)
出身地 日本の旗 日本宮城県石巻市
師匠 二代目桂枝太郎
五代目柳家小さん
弟子 桂扇生
桂文ぶん
三代目桂文雀
桂枝平
名跡 1. 桂枝平
(1962年 - 1966年)
2. 桂欣治
(1966年 - 1974年)
3. 三代目桂文生
(1974年 - )
出囃子 あほだら経
活動期間 1962年 -
所属 日本芸術協会
落語芸術協会
(1962年 - 1984年)
落語協会
(1984年 - )
受賞歴
NHK新人落語コンクール優秀賞(1973年)
文化庁芸術祭優秀賞(2006年)

三代目 桂 文生(かつら ぶんしょう、1939年8月23日 - )は、宮城県石巻市出身の落語家。落語協会所属。出囃子∶『あほだら経』。本名∶平 稔

経歴[編集]

宮城県小牛田農林高等学校卒業後1962年二代目桂枝太郎に入門、前座名は枝平

1966年に二ツ目昇進、欣治に改名。1973年NHK新人落語コンクール優秀賞を受賞。

1974年に真打昇進、三代目桂文生を襲名。1984年桂文朝桂南喬、そして弟子の桂きん治とともにに落語芸術協会を脱退し、落語協会・五代目柳家小さん門下へ移籍。

2006年文化庁芸術祭優秀賞受賞。

芸歴[編集]

人物[編集]

1957年、高校2年生の時に肺膿腫で入院しているとき、7月22日から26日までNHKラジオで放送された番組「志ん生五夜」で聴いた古今亭志ん生の口演(『業平文治』や『目薬』などが放送されていた)に強い印象を受けて、落語家になることを決心した。

演目[編集]

弟子[編集]

真打[編集]

前座[編集]

廃業[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]