桂小文枝

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桂 小文枝(かつら こぶんし)は、上方落語名跡。初代と3代目は桂文枝の前名として名乗った。3代目の5代目文枝襲名に伴い空き名跡となっていたが、5代目文枝の弟子である桂きん枝が2019年に襲名することが決定した。

初代[編集]

初代 桂小文枝1864年 - 1910年12月24日)は、後の3代目桂文枝。本名:橋本龜吉。享年47。

2代目[編集]

2代目 桂 小文枝かつら こぶんし
本名 豊田 卯之松(卯三郎とも)
生年月日 1879年
没年月日 1931年1月9日
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代桂枝雀
弟子 荒川千成
名跡 1. 初代桂雀三郎(? - 1911年)
2. 2代目桂小文枝(1911年 - 1931年)
活動期間  ? - 1931年
活動内容 音曲
家族 桂雀四郎(実兄)
3代目桂萬光(実兄)
所属 桂派
三友派

2代目 桂小文枝1879年(逆算)- 1931年1月9日)は、本名:豊田卯之松(卯三郎とも)。享年53。法名:釋文遊。

桂雀四郎、3代目桂萬光は実兄。初め初代桂枝雀の門下で初代桂雀三郎を名乗る。1911年3月16日、師・枝雀と袂を分かち、2代目三遊亭圓馬の尽力で2代目小文枝を襲名。同時に三友派に加入し、中堅として活躍する。

美声の持ち主で、大津絵節やトッチリトンなどの音曲を得意とし、桂仁左衛門の型を踏襲した『三十石』の舟唄は絶品であったという。落語家としては不器用な性質で、他に『胴とり』、『ひやかし』、『高野駕』、『木挽茶屋』、『二番煎じ』が十八番、というよりも、これ以外の噺はほとんど掛けなかったが、いずれも素晴らしい出来であった。

大柄で男前であったため、女性に人気があった。贔屓客もついたため、生活は裕福で、芸人としても恵まれた人生を過ごした。小柄で貧乏だった兄・萬光とは、芸においても人生においても、全てに正反対の存在であった。

弟子には漫才に転じた荒川千成がいる。千成の門流には戦後漫才で活躍した若井はんじ・けんじがいる。

3代目[編集]

3代目 桂小文枝1930年4月2日 - 2005年3月12日)は、後の5代目桂文枝。本名:長谷川多持。享年74。

4代目[編集]

3代目(5代目文枝)の弟子である桂きん枝(本名:立入勉三、1951年1月5日 - )が小文枝の名跡を継ぎ、2019年に4代目 桂小文枝を襲名する予定となっている[1]

脚注[編集]

出典[編集]