根本良一

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根本 良一
ねもと りょういち
生年月日 (1937-11-30) 1937年11月30日(83歳)
出生地 日本の旗 日本福島県矢祭町
出身校 学校法人石川高等学校
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根本 良一(ねもと りょういち、1937年11月30日 - )は、日本実業家政治家。元矢祭町長。地方自治体の自立試みで有名。

田中康夫は先生と仰ぐ。

経歴[編集]

  • 1937年(昭和12年)11月30日 - 福島県矢祭町に生まれる。
  • 1956年(昭和31年) - 学校法人石川高等学校を卒業、高校3年の時父親を交通事故で失い、進学を断念し家業の家具店を継ぐ。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 町長初当選。
  • 矢祭観光協会会長 就任。
  • 1989年(平成元年)5月 - 東白川地方町村会長 就任(91年4月まで)。福島県町村会副会長 就任(91年5月まで)。
  • 1996年(平成8年)8月 - 東白川地方町村会長 就任(99年4月まで)。
  • 2001年(平成13年)10月 - 平成の大合併期に合併しない宣言を行う。その後、自立財政を目指し、猛烈な行政改革を断行した。
  • 職員の削減、職員の職務兼務の推進などを断行(町長自ら役場の清掃を行う。清掃業者を排除しコスト削減につとめた)。
  • 単なる切捨て型財政再建でなく、職員の意識改善により、町民への住民サービスは格段に向上した(町民の役所への届出は、職員自宅に届け出ることも可能)。
  • 2003年(平成15年)3月 - 妻の病気に伴い、介護のため町長選挙への出馬を見送ろうとするも、町民が再出馬を熱望。役場に町長を直談判しに町民が大挙し、説得され再出馬し当選。
    • 10月7日 - 総務省は「矢祭町は住民基本台帳ネットワークシステムに参加しておらず、町長が住民基本台帳法に違反している」との理由により、「通算20年以上在職し、地方自治の発展に功労がある者」を対象にした、「市町村長総務大臣表彰」を、根本に授与しないことを決めた。
  • 2007年(平成19年)4月17日 - 6期24年務めた町長を退職。その後は家具店の経営に復帰[1]

出版物[編集]

著書[編集]

  • 2003年(平成15年) - 『辺境の町が日本を動かした! - 矢祭町の新たなる地方分権への挑戦』 保母武彦(編著) 財界21 ISBN 4-901554-03-4

共編[編集]

  • 2002年(平成14年) - 『合併しない宣言の町・矢祭』 石井一男(編著) 自治体研究社 ISBN 4-88037-355-9
  • 2003年(平成15年) - 『「内省不疚」の心でまちをつくる - 福島・矢祭町 - 「合併しない宣言の町」の自立推進計画』 保母武彦(編著) 自治体研究社 ISBN 4-88037-394-X
  • 2006年(平成18年) - 『元気な子どもの声が聞こえる町をつくる - 矢祭町=「合併しない町」の地域自立設計』 保母武彦(編著) 自治体研究社 ISBN 4-88037-451-2

関連書[編集]

  • 2003年(平成15年) - 『分権の光 集権の影 - 続・地方分権の本流へ』 日本評論社 ISBN 4-535-51340-6

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「超ワンマン」町長がいた小さな町 15年の時を経て、記者が訪ねた”. withnews. 朝日新聞社 (2019年5月27日). 2019年5月27日閲覧。