染色体凝縮
染色体凝縮(せんしょくたいぎょうしゅく:chromosome condensation)とは、間期の細胞核内に分散していたクロマチンが、細胞分裂期においてコンパクトな棒状の構造に変換する過程のことをいう(図1)[1][2][3][4][5]。染色体構築あるいは染色体形成とも呼ばれる。
染色体凝縮の素過程
[編集]DNAから染色体まで
[編集]ヒトの2倍体細胞内には22対(22x2)の常染色体、およびXXあるはXYの性染色体、計46本の染色体DNAが存在する。そこに含まれるDNAの全長は約2メートルに達する。DNAはまずヒストンと結合してヌクレオソーム構造をとり、さらに30 nmファイバーと呼ばれるクロマチン繊維に折り畳まれる。間期では、これが直径10-20 μmの細胞核内に収められている。分裂期では、クロマチンは棒状の構造体に変換され、個々の染色体の識別が初めて可能となる。この過程は、19世紀末、ドイツの細胞学者ヴァルター・フレミング(Walther Flemming)によって精密に記載された。元来、染色体とは、分裂期に観察される凝縮した構造体を指す用語であったが、近年ではその意味するところは広くなっている(染色体の項を参照)。
高等動物細胞の分裂期染色体では、DNAは約10,000分の一の長さにまで折り畳まれている計算となる。例えば、ヒト第8染色体には50 mm長のDNAが含まれているが、分裂期にはこれがわずか5 μm長の染色体に収められる。この作業は、エッフェル塔の高さに匹敵する細い糸を枝豆一粒のサイズに折り畳む作業に匹敵する。
染色体凝縮の生理的意義
[編集]上記のように、間期において、DNAは既にクロマチン構造をとっているが、それらは細胞核内に分散しているため個々の染色体として観察されることはない。分裂前期にはいると、核膜周辺から凝縮が始まり、やがて繊維状の構造が観察されるようになる。前中期で核膜が崩壊すると、凝縮はさらに進行する。中期までに凝縮を完了した染色体では2本の姉妹染色分体が識別可能となる。この一連の過程を総称して染色体凝縮とよぶが、染色体の高次構造についての理解が進んでいないため、この語の定義は必ずしも明確ではない。
染色体凝縮の過程は、原理的には以下の3つのステップに分けて考えることが可能である(図2)[6]。
- 核内に分散したクロマチンを染色体というユニットに分解し「個別化(individualization)」すること。
- それぞれの染色体をコンパクトな棒状の構造に「組織化(shaping/compaction)」すること。
- それぞれの染色体の中で複製したDNA間の絡み合いを解き、2本の姉妹染色分体へ「分割(resolution)」すること。
しかし、これらのステップは同時期にしかも相補いながら進行するため、すべて合わせて染色体凝縮という場合が多い。このように、染色体凝縮とは単に長さを縮めるための過程ではなく、ランダムコイル状のクロマチン繊維を組織的に折り畳んで棒状の構造体へ変換する過程と考えるほうがより適切である。さらに重要なことに、この過程の本質は、分裂後期における姉妹染色分体の分離(separation)を容易にすると共に、両極への移動に耐えるための強度を与えることにある[7]。染色体凝縮の欠損は染色体の分離異常を引き起こし、ひいてはゲノムの不安定化に繋がる。
染色体凝縮に関わるタンパク質因子
[編集]真核生物の染色体凝縮で中心的な役割を果たしているタンパク質複合体がコンデンシンである(図3)。コンデンシンはATPアーゼ活性をもち、ATP加水分解から生ずるエネルギーを用いて染色体凝縮を担っているらしい。しかし、そのメカニズムの詳細については不明な点が多い。また染色分体分割の過程には、染色体腕部からコヒーシンが部分的に解離することに加え、DNAの絡み合いを解く II 型トポイソメラーゼの働きが必須である[8]。
一方、最近の報告によれば、簡単な基質(精子核)と6つの精製因子(コアヒストン、3種のヒストン・シャペロン、トポイソメラーゼ II、コンデンシン I)を用いて、単一染色分体(複製過程を経ない一本の染色分体からなる染色体)を試験管内に再構成することができる[9][10]。これまで分裂期染色体の構築は極めて複雑な過程であると考えられてきたが、その素反応に関わるタンパク質因子の数は限られているらしい。
さらに驚くべきことに、カエル卵抽出液中ではヌクレオソーム形成を抑えた条件下においても、コンデンシンに依存して染色体に似た構造を作ることが可能である[11]。このヌクレオソームを持たない染色体は、コンデンシンが集中した中心軸とその周辺に大きく広がったループ構造から構成されていた。すなわち、コンデンシンは染色体の形作り(shaping)に対して本質的な役割を果たし、一方ヌクレオソームはコンデンシンが構築する染色体軸の周りに広がるDNAループのコンパクション(compaction)に貢献しているらしい。
分裂期染色体のモデル
[編集]クロマチン繊維が分裂期染色体の中でどのように折り畳まれているのかという問題は、いまだに解明されていない。古典的なモデルとしては、階層制折り畳みモデル(hierarchical folding model)[12]とラジアル(放射状)ループモデル(radial loop model)[13]が挙げられる。その後、ポリマーモデル(polymer model)[14]や階層制軸モデル(hierarchical folding, axial glue model)[15]が提唱されている。この問題の理解が遅れている理由のひとつは、分裂期染色体の構造を形態学的に解析する手段が限られていたことにある。しかし最近では、Hi-C (High-throughput chromosome conformation capture) と呼ばれるゲノム生物学的手法も適用されており、研究の進展が期待されている[16][17][18][19][20]。一方、コンデンシンの分子活性をもとにして分裂期染色体構築の数理モデリングとコンピュータ・シミュレーションが盛んに試みられている[21][22][23]。
原核生物における染色体凝縮
[編集]真正細菌は、ヒストンをもたないが、多くのタンパク質と結合して核様体(真核細胞の染色体に相当する)を形成する。真正細菌では DNA gyrase と呼ばれるトポイソメラーゼが負のDNA超らせん(plectonemic 型)を導入することにより、核様体DNAのコンパクションに貢献している。古細菌はヒストンに似たタンパク質を有し、ある種の古細菌では~60 bp 周期のヌクレオソーム様構造も観察されている[24]。
一方、真核生物のコンデンシンに類似した複合体は多くの真正細菌と古細菌にも保存されており、核様体の組織化に直接関わっているらしい[25][26][27]。実際その機能を欠損させると、核様体の構造異常および分離異常が観察される。すなわち、原核生物においても「染色体凝縮」に相当する過程が存在し、この過程そのものが限られた空間内での染色体の分離に大きな役割をはたしていると考えられる(図4;原核細胞には真核細胞のスピンドルに対応する分裂装置が存在しない)。最近では、Hi-C技術によって、バクテリア型コンデンシンに依存した核様体の構造変換の動態が、 Caulobacter[28]、枯草菌[29]および大腸菌[30]において解析されている。これらの知見は、染色体凝縮という過程を分子レベルでとらえ直し、さらに染色体高次構造を進化的視点から理解する上で極めて重要である[31]。
関連項目
[編集]引用文献
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