柏町 (千葉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かしわまち
柏町
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
田中村柏町土村小金町東葛市
現在の自治体 柏市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 18.6 km2.
総人口 24,658
(千葉県町村合併史、1954年9月1日)
隣接自治体 流山町田中村富勢村我孫子町風早村土村
柏町役場
所在地 千葉県東葛飾郡柏町柏
座標 北緯35度52分06秒 東経139度58分34秒 / 北緯35.86831度 東経139.97619度 / 35.86831; 139.97619 (柏町)座標: 北緯35度52分06秒 東経139度58分34秒 / 北緯35.86831度 東経139.97619度 / 35.86831; 139.97619 (柏町)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

柏町(かしわまち)は千葉県の北西部、東葛飾郡に属していた

地理[編集]

ほぼ全体が関東平野常総台地に含まれる。

歴史[編集]

村名由来[編集]

  • 千代田村 - 新村が永遠に繁栄することを祈念したことから。
  • 柏町 - 河岸(杭の意)場に由来するという説が有力である[1]

沿革[編集]

柏村、戸張村、篠籠田村、松ヶ崎村、高田村および豊四季村はかつて葛飾郡ののち東葛飾郡に属し、その他の諸村は印旛郡に属した。

  • 江戸時代 - 上野牧および高田台牧が置かれる。
  • 1873年(明治6年) - 大区小区制による分画の際、東葛飾郡下の柏村、戸張村、篠籠田村、松ヶ崎村、高田村、豊四季村は第12大区8小区に、印旛郡下の諸村は第13大区3小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行の際、以下の村連合を組成する。
    • (東葛飾郡)柏村・戸張新田・豊四季村連合
    • 篠籠田村・松ヶ崎村・高田村連合
    • 呼塚新田・柏堀ノ内新田・(印旛郡)柏村・中村・下村・戸張村・根戸村外3村連合
  • 1884年(明治17年) - 戸長役場所轄区域更定の際、以下の単位で、同一の戸長役場の所轄に属した。
    • (東葛飾郡)柏村、戸張村、篠籠田村、松ヶ崎村、豊四季村
    • 高田村および花野井村
    • 下村、戸張新田、塚崎村外9村
    • 呼塚新田、柏堀ノ内新田、(印旛郡)柏村、中村、根戸村外5村
    当地区はこのように数戸長役場の所轄に属し、かつ学区も2区に分かれていた(呼塚新田、柏堀ノ内新田の2村は布施村外3村とともに1学区、その他の諸村で1学区)が、各村とも農業が主要の生業で生活状態が同じであり、水利施設の経営や利用なども関係諸村限りで共同に行う等、合併に適当な状態だった。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、千代田村・豊四季村組合が成立。
    東葛飾郡柏村、同郡戸張村、同郡篠籠田村、同郡松ヶ崎村、同郡高田村、印旛郡呼塚新田字落合、同郡柏堀ノ内新田(字一番割、水神前を除く)、同郡柏村、同郡中村、同郡下村、同郡戸張新田が合併して千代田村となり、千代田村と豊四季村(旧村のまま)の間に村組合が組織された。
    村組合を組織する方針をとったのは、「…豊四季村と千代田村との関係について甲(=豊四季村)は新開墾地にして、乙(=千代田村)は故村なり。自然生活の状態も相異るを以って、一概に之を合併せしむべからざる事情あり…」[2]という理由による。
  • 1914年大正3年)10月10日 - 組合を解消し、千代田村・豊四季村の区域をもって千代田村が改めて発足。
  • 1926年(大正15年)9月15日 - 町制を施行し柏町となる。

脚注[編集]

  1. ^ 大阪府大阪市住吉区我孫子の川の対岸には日本書紀にある柏渡に比定される場所がある。
  2. ^ 新町村組織要領による

関連項目[編集]