林遠里

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林 遠里(はやし えんり、1831年3月8日天保2年1月24日) - 1906年明治39年)1月30日)は、福岡県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。私塾・興産社・勧農社の創始者としても知られる。

林遠里の考案した農法は、筑前農法または福岡農法と呼ばれ、寒水浸法、土囲い法、冬蒔き畑苗代法をその中核としながら、多労を旨とした集約的農業技術により土地生産性を高める一方で、抱持立犂を装備した牛馬耕を導入することによって耕耘作業を省力化し、労働生産性を高めるというものであった。この筑前農法は明治農法の中核的な農法として、全国に広まった。

林遠里の墓地は入部地域にあり、2005年には、林遠里100年際が行われ、当時の入部小学校の4年生(2クラス)が田植えに参加した。

朝日新聞社が人名辞典で遠里(えんり)を(おんり)と誤植したため、その誤った表記を踏襲する表記が時々みられるが、(えんり)が正しく、別の呼び方はしない。[要出典]

来歴・業績[編集]

著書[編集]

  • 『勧農新書』(初版・再版)

外部リンク[編集]

関連項目[編集]