林虎雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

林 虎雄(はやし とらお、1902年7月15日 - 1987年7月15日)は、日本政治家。民選初の長野県知事(1947年-1959年)。

経歴[編集]

長野県諏訪郡下諏訪町出身。高等小学校を卒業後労働運動に身を置く。1933年(昭和8年)に諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)の町議となり以降長野県議→諏訪郡上諏訪町→諏訪市助役→衆議院議員1946年~)を歴任。1947年(昭和22年)史上初めて行われた長野県知事選において日本社会党公認で立候補。保守陣営が擁立した元知事(官選)の物部薫郎らを破り初当選、初の民選知事となる。長野県議会において食糧増産の論争をした時に、マルクスの言葉を引用したことは有名である。当選後は天竜川水系の河川総合開発事業に力を入れ、TVAを視察後に三峰川の総合開発に乗り出し美和ダム高遠ダムの建設を促進した。

1951年(昭和26年)に打倒革新知事候補として保守陣営が擁立した当時長野県信連の会長だった米倉龍也(1885年8月6日 - 1980年10月24日)を破って再選した際には「竜虎相打つ」とうたわれた。1959年(昭和34年)『知事は3度が限度、長期政権では人身がよどむ』と4期目出馬を辞退し退任。3期12年に渡って長野県知事を務めた。退任後は1962年(昭和37年)から1974年(昭和49年)まで参議院議員を2期12年間務める。信越放送(SBC)の相談役も務めた。

1987年(昭和62年)7月15日、85歳の誕生日に逝去。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]