林竹治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

林 竹治郎(はやし たけじろう、1871年 - 1941年)は日本の画家である。「朝の祈り」という名画を描いたことで知られる。ハンセン病患者のために生涯を尽くした医師林文雄の父。

経歴[編集]

1871年に宮城県に生まれ、仙台師範学校へ入学した。師範学校在学中1889年にキリスト教の洗礼を受けた。1889年上京して、東京美術学校へ入学して、3年後の1892年東京美術学校の特別課程を卒業すると、1898年9月北海道師範学校の教諭になった。2年後に退職し、札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)の教諭として28年間美術を教えた。また、日本基督教会札幌北一条教会長老として、新島善直長崎次郎らと共に教会を支えた。[1]

一中の退職後は藤高等女学校で14年間教えた。

旧制札幌一中の図画の教師をしている時に、1905年に第一回文部省美術展に「朝の祈り」が入選した。[2]

1927年に息子の文雄が東村山のライ病棟に行くことを反対したが、文雄は反対を押し切って行った。何度も文雄を奪回しようと試みたり、文雄に繰り返しお見合いを勧めたが失敗した。

1936年文雄が大西富美子と結婚すると、1939年に鹿児島のライ療養所にいた文雄の家に、妻こうと一緒に札幌から転居し、文雄の家を「楽園」と呼んで1941年に歿するまで住んだ。文雄と共にハンセン病患者を励まし、絵画の個展を開いて、売り上げ金をハンセン病患者に捧げた。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』575頁
  2. ^ この絵は、50年間続いた林家の家庭礼拝を描いたものであった。多くのクリスチャンに影響を与えて、日本基督教会の牧師になった佐波亘も林の絵によって献身して牧師になった。

参考文献[編集]

  • 高野勝夫『キリスト教逸話例話辞典』神戸キリスト書店、1998年
  • 伊達浩子『林文雄』日本教会新報社、1982年