林あまり
はやし あまり 林 あまり | |
---|---|
生誕 |
1963年1月10日(61歳) 日本 東京都 |
出身校 | 成蹊大学文学部日本文学科 |
職業 | 歌人 |
林 あまり(はやし あまり、女性、1963年1月10日 - )は、日本の歌人、エッセイスト、作詞家である。本名、真理子。
人物
[編集]前田透に師事。短歌に演劇的な構成を導入し、大胆な性描写や暴力を詠み込んだ過激な作品を発表して注目を浴びた[1]。同世代の俵万智とともに「ライトヴァース」と称され、80年代の口語短歌の浸透に貢献した。穂村弘は「演劇的な構成意識、口語文体に加えて、二行書き表記や記号の使用といった表現面のラディカルな個性は、強靭なモチーフ意識と相俟って、歌壇外の読者にも幅広い支持を得ている。」と書いている[2]。敬虔なクリスチャンであり、キリスト教をモチーフとした作品も多い。
同姓の林静一とコラボレーションした作品をいくつか発表しているが、血縁関係はない。
ペンネームについて
[編集]「あまり」というペンネームは幼少期からのあだ名に由来している。1973年から放送のテレビドラマ『雑居時代』で杉田かおる演じる5人姉妹の末っ子の名前「阿万里」が好きで、親戚から「あまりちゃん」と呼ばれるようになったのが最初で、大学演劇部で必要となったニックネームでも「あまり」を用いた。これを筆名として使い出したのは、1984年の前田透の追悼同人誌からである。本名が同姓同名の作家林真理子がいたため、混同を避ける目的でペンネームにしたとする説もあるが、実際は関連はない[3]。
経歴
[編集]1963年(昭和38年)、東京都渋谷区生まれ。1978年、日本基督教団頌栄教会で洗礼を受け、キリスト教徒となる。恵泉女学園高等学校を経て、成蹊大学文学部日本文学科へ入学。演劇部に所属し、女優の片桐はいりとは演劇部時代の仲間である。初め前田透主宰の結社「詩歌」にて学び、解散まで所属[4]。のちに中山明、井辻朱美らともに歌人集団 「かばん」の創設に参加した。
大学在学中に雑誌「鳩よ!」(マガジンハウス)に、大胆な性描写を歌った短歌を投稿、同誌編集長に見出されて歌人としてデビューした[5]。大学の卒業論文のテーマは、「前田透論」。1985年(昭和60年)3月の卒業の後には、出版社・沖積舎にて編集者として勤務した。
作詞家としての作品には「夜桜お七」(坂本冬美)、「さよなら小町」(同)、「レクイエム」(小川範子)、BED-SIDE(同)などがある。また、演劇評論も手がけ、NHK衛星放送の演劇番組 「ミッドナイトステージ館」に2002年(平成14年)から2007年(平成19年)まで出演、劇作家の鈴木裕美と共に司会を担当した。
著書
[編集]- 歌集『MARS☆ANGEL』 沖積舎、1986年
- のち文庫(河出文庫、1993年)
- 歌集『ナナコの匂い』 マガジンハウス、1988年
- 『劇場、このふしぎなおともだち - シアターカタログ 林あまりの演劇ガイド』 マガジンハウス、1989年
- 『世紀末はマドモアゼル』 フレーベル館、1991年
- 歌集『最後から二番目のキッス』 河出書房新社、1991年
- 『ショートカット―林静一画集・林あまり歌集』(林静一・絵) サンリオ、1992年
- 『恋の予感をバックにつめて Minako collection』 大和書房、1993年
- 『レモン色のおくりもの』(栗木映・イラスト) キリスト教視聴覚センター、1994年
- 『光を感じるとき』 教文社、1996年
- 『ねえ、キッスして。』(林静一・絵) クインテッセンス出版、1996年
- 『「愛されない」と思っていた私への手紙』 大和出版、1997年
- 『ベッドサイド』 新潮社、1998年
- のち文庫(新潮文庫、2000年)