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板谷広隆

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板谷 広隆(いたや ひろたか、天明6(1786年)誕生日不明 - 天保2年5月30日1831年7月9日))は、日本江戸時代後期に活躍した、江戸幕府御用絵師大和絵の一派・住吉派から別れた板谷派の3代目。号は桂舟。そのため板谷桂舟とも、板谷家は桂意と桂舟を交互に名乗ったため、初代や5代目と区別する意味を込めて板谷桂舟広隆とも呼ばれる。

略伝

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板谷広長の子として生まれる。弟に表絵師筆頭駿河台狩野家・狩野愛信に養子入りした狩野洞益春信がいる。文化6年(1809年)部屋住の身分ながら初お目見え。文化11年(1814年)に父広長が亡くなると奥御用勤務につき5人扶持を付与される。翌年には西の丸奥御用や日光山縁起(東照宮縁起)作成を仰せつかる(輪王寺蔵)。文政11年(1828年)祖父・板谷広当依頼の精勤が評価され、法眼に叙せられる。板谷家6代のうち、僧綱位を得たのは広隆のみである。天保2年に46歳で死去。戒名は至到岸院法眼乗誉桂舟居士。跡は長男の板谷広寿が継いだが、数え21歳早世したため次男の板谷弘延が継いだ。他の門人に桂眠隆寿(河野捨五郎)など。

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 印章 備考
源氏物語 乙女 絹本著色 双幅のうち1幅 94.8x31.8 東京国立博物館 桂舟住吉広隆画 「広隆之印」朱文方印 血縁上従兄弟に当たる住吉廣尚筆「源氏物語 紅葉賀」と双幅
源氏物語図 初音・胡蝶 絹本著色 双幅 99.0x45.4(各) 東京国立博物館 桂舟住吉広隆筆 「広隆之印」朱文方印
子の日図 絹本著色 1幅 107.0x40.8 徳川美術館 1819年(文政2年) 桂舟広隆筆 「広隆之印」朱文方印
勿来関 絹本著色 1幅 101.2x36.9 個人 桂舟広隆筆 「振鷺斎」白文方印
小栗判官鬼鹿毛図 紙本著色 1幅 102.5x37.1 個人 桂舟広隆画 「広隆之印」朱文方印
梅花鴛鴦図 絹本著色 1幅 97.3x38 ボストン美術館[1] 桂舟広隆筆
雑画巻 紙本墨画 1巻 29.6x830.8 ボストン美術館[2]

脚注

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参考文献

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  • 田沢裕賀研究代表 東京国立博物館編集・発行 『板谷家を中心とした江戸幕府御用絵師に関する総合的研究 平成23~27年度科学研究費補助金研究成果報告書 課題番号23242013』 2016年3月31日