松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム

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松本vs浜田・対決シリーズ / 罰ゲームでは、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』内の企画「松本vs浜田・対決シリーズ / 罰ゲーム」について記述する。

目次

概要[編集]

年に1 - 2度の恒例企画。松本人志浜田雅功日本シリーズ紅白歌合戦の勝敗予想、スポーツ、ゲームなどで対決(1998年のゴルフ対決からは山崎・ココリコも参加している)、敗者は厳しい罰ゲームを受ける。罰ゲームはゴールデンで特番を組んだり、通常枠で3週前後に渡って放送される(「24時間浜田雅功営業中」から)。

2016年現在
勝敗数 松本人志 浜田雅功
7 12
12 7


「ガララニョロロ……」から「ウラジオストクの……」までの罰ゲームの内容は、DVD第4巻のDisc2にて「笑いと絶叫の軌跡、対決&罰ゲームの歴史」に収録されている(DVDには放送当時の時刻表示入りである。当番組の他にも日本テレビでもう見られなくなってしまった映像『ズームイン!!朝!』・『鳩の休日』等のオープニングシーンがみられる)。

勝敗予想対決では浜田が先に選ぶのが暗黙の了解となっている。

他に2003年から始まった笑ってはいけない罰ゲームが始まった(詳細は「笑ってはいけないシリーズ」を参照)。 2007年の「病院24時」から全員参加となったため、罰ゲームではなくなりつつある。実際、2006年の「タライアンルーレット」以降、対決は行われていない。

なお、本文中の放送日は関東地区並びに同時ネット地域のもの[1]

過去の企画[編集]

以下年代順に列挙。

「笑ってはいけない」一連の企画については、笑ってはいけないシリーズの項目を参照。

ガララニョロロでズームイン!!(1990年正月)松本人志[編集]

1989年紅白勝敗予想対決(1990年1月16日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。記念すべき1回目の罰ゲーム。当時『夢で逢えたら』(他局の番組である)で人気だった謎の警官キャラ「ガララニョロロ」に扮し、『ズームイン!!朝!』のマイスタジオ前のシーンに出演[2]。司会の福留功男に「朝から変な人が来てるようですね」と苦笑交じりにあしらわれた。罰ゲームの模様は1月23日放送。その後松本主演の『伝説の教師』の最終回のエンディングでは松本が中居正広にこの事を話していた。

SM亀甲縛りアルタ画面で番組宣伝(1990年春)松本人志[編集]

松本が「俺はしりとりをすべて「す」で返すことができる!」と豪語して始めたしりとり「す」で返す対決(1990年4月24日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。亀甲縛りをさせられ、スタジオアルタの大画面で番組宣伝を行った。「観てね」と台詞を言った後、松本は「観るか!こんな番組…」と呟いた。罰ゲームの模様は5月8日放送。

浜ちゃん決死のスカイダイビング!!(1990年夏)浜田雅功[編集]

1990年プロ野球オールスター勝敗予想対決(1990年7月31日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。着地後には浜田が恐怖と感動の涙を浮かべるなど、番組史に残る感動の罰ゲームとなった。罰ゲームの模様は8月7日放送。

罰ゲームさんいらっしゃ〜い!!(1990年年末)松本人志[編集]

ゴルフ対決(1990年11月20日27日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。全日本有線放送大賞収録中の桂三枝(現・六代桂文枝)の楽屋に三枝の扮装をして潜入し、何も知らずに入ってきた三枝に「いらっしゃ〜い」を披露した。三枝は松本の扮装に呆れ笑いするしかなかった。罰ゲームの模様は1990年12月25日放送。名前の元ネタは「新婚さんいらっしゃい!」から。

冬の湘南赤フンドシで寒中水泳!!(1991年冬)松本・山崎他[編集]

寒中水泳が行われた腰越

野球対決に負けた松本率いるDOWN'Sに対する罰ゲーム。DOWN'Sには山崎もいた。神奈川県鎌倉市腰越海岸でロケが行われ、どんよりとした曇り空の下、寒中水泳を決行。DOWN'Sの面々はやけになって大声で海へ走りこんだが、あまりの寒さに大声は絶叫へ変わった。海岸へ上がろうとするDOWN'S達だが浜田がドSのごとく、棍棒を振り回して海へと追いやっていた。松本は「体が痛いねん!ピリピリすんねん!!」と弱音を吐いて浜田にすがるが、結局海へと突き出されていた(そのやり取りの後ろで山崎がこっそり逃げ出そうとしていたが、軌保に海へと付き返されていた)。スタッフは松本の後方ではしゃぎ合い、水をかけ合っていた。罰ゲームの模様は1991年2月19日放送。

ハゲづら恐怖のジェットコースター(1991年夏) 松本人志[編集]

500人対500人ドッジボール対決(1991年5月28日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。ドッジボールでは大した展開もないまま、松本がアウトに。ダイレクトで当たったにもかかわらず「ショートバウンドや!!」と言い張り、浜田とつかみ合いのけんかに発展した。ハゲヅラをかぶり、よみうりランドのジェットコースター「バンデット」に乗車させられた。終わった直後に松本は「おいコラー!一番怖くないやつ乗せるって言うたやんけ!めちゃめちゃ怖いやないか!!」と激怒。罰ゲームの模様は6月4日放送。

松ちゃんカラーバーでTVジャック!!(1992年正月)松本人志[編集]

松本が扮したカラーバー

1991年紅白勝敗予想対決(1991年12月22日放送のトークにて・12月29日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。早朝、カラーバーになった模様が生中継された。最初は律儀に「ピ~~~」と声でテストトーンを模してカラーバーに成りきるも、途中心が折れかかったのか「これ、生(放送)でせなあかんか?」と諦めていた。さらに顔のアップバージョン(画用紙にカラーバーを描き、顔だけ出ているというもの)をやったが、時間が余っていたため、タバコを吸いながら新聞を読みだす。その際、松本は最後に入る師匠のように振る舞い、「2分前」の告知がされてからもう1度カラーバーになりきった。松本は自著・『松本坊主』の中で、フジテレビ全盛だった当時にこの罰ゲームをきっかけに日本テレビの事がすごく好きになったと語っている。放送開始という局の顔とも言えるシーンを芸人にやらせると言う日本テレビの器の大きさに感心した。罰ゲームの模様は1月19日放送。

アシカショーで人気者になろう!!(1992年夏)松本人志[編集]

ラクビー対決(1992年5月24日31日6月7日放送)で負けた松本に対する罰ゲーム。アシカに扮し、水族館で本物のアシカと共演した。飼育員に扮した浜田に水槽へ落とされそうになった松本は「死ぬから…」などと怖がっていた。罰ゲームの模様は6月21日放送。

局タイトルのハトになってクルックー!!(1993年正月)松本人志[編集]

1992年紅白勝敗予想対決(1992年12月20日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビの本物のジャンクション(この企画のため通常より1分早く放送された)の後、映像(鳩の休日)のセットの前で1分間、松本がジャンクションの鳩になりきり、即興の詞(♪俺は~俺は~、バカなのか~アホなのか~)までつけて演じた。罰ゲームの模様は1月17日放送。

浜ちゃんフランスへエビアンを汲みに行く!!(1993年夏)浜田雅功[編集]

浜田が汲みに行かされた「エビアン」

走り高跳び対決(1993年7月11日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。弁当を喉に詰まらせた松本が浜田に「エビアン 汲んできて」と言い、浜田はスイスフランスへ行くはめに。現地では菅プロデューサーの引率によってロープウェイでモンブランの山を登ったが、山頂にはエビアン水が無いと判明。山を下った後、過酷な山道を歩き源泉の滝まで行って水を汲んだが、エビアンという町の水道から湧き出る水をエビアンと呼ぶと通訳から教えられ、「じゃあこの水何?」と訊いたところ、「ただの滝の水」とのこと。浜田は菅を責めるが、「まあ…、罰ゲームなんだから…!!」と開き直る菅の首を絞めた。結局は町で水を汲み持ち帰った。松本は50時間近く弁当を飲み込むことができず、苦しみ続けたが、浜田が帰国して楽屋に戻った瞬間に治った上、浜田が汲んできた水を飲み「たいしたことない」と一言。罰ゲームの模様は7月25日放送。

早朝親子寄席(1994年冬)松本人志[編集]

1993年紅白勝敗予想対決に負けた松本に対する罰ゲーム。母・秋子と親子漫才をやった。早朝4:57 - 5:00の3分間生放送されたが時間が足らず、ネタの途中で『早見優のアメリカンキッズ』に画面が切り替わった。1年前と同様、この時も浜田に電話。「親子の生き様見とけ!!」の捨て台詞を残した。罰ゲームの模様は2月6日放送。

浜ちゃんNYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く!!(1995年春)浜田雅功[編集]

1994年紅白歌合戦勝敗予想対決に負けた浜田に対する罰ゲーム。松本の意向を受けた菅の邪魔に耐えつつシャープペンを取りにニューヨーク坂本龍一宅まで行くが、玄関のドアをチェーンロックをかけた状態で僅かに開けたその隙間より坂本からシャーペンを投げ渡されるというけんもほろろな扱いを受ける。「日本では結構持ち上げられるのに、こっち来たらこんなだね」と菅に言われた。帰国後、キャップの中にある消しゴムがなかったため再度行く事に。東京 - ニューヨークを2往復して疲れて戻ってきた浜田が松本に消しゴムを渡した後、たまたま置いてあったエビアンを飲んだため松本が「俺にもちょうだい」と言ってきたので浜田がエビアンを渡そうとすると松本は「いや、それじゃなくて。エビアン汲んできて」と最後にボケる。罰ゲームの模様は1995年4月2日にゴールデンタイムの2時間特番の中で放送。 ちなみに、紅白予想で浜田が負けたのは初。

松本のおかんとタイタニック(1998年夏) 浜田雅功[編集]

ゴルフ対決(1998年5月24日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。ハリウッドに行き、松本の母・秋子と『タイタニック』の一場面を演じた。罰ゲームの模様は8月23日放送。あまりにもきっつい映像に松本は始まった瞬間に「これはアカンで!!これはキツいで!うわぁ~アカンアカン!!」と絶叫し、どちらの罰ゲームなのか判らない状態に。終にはキスシーンまであった。一方、松本の父はこの企画を見て若干本気で嫉妬し機嫌を損ねていたらしい。なお、撮影は映画で使われたセットではなくロサンゼルスにある別の豪華客船(「クイーン・メリー号」)で行われた(「実際に映画の撮影で使われたタイタニックのセットは撮影終了後に解体したので、既に無い」と20世紀フォックスの担当者から言われたため)。

罰ゲームを見た直後のフリートークでは浜田が秋子は「撮影前はかなりのノリノリだった」というが、撮影が終わった後の夕食では「食べてるか食べていないか分からないほど疲れ切っており、終始下を向いて不機嫌だった」と裏話を明かした。また、父はその横で「紹興酒を飲みながらゲラゲラ笑いまくっていた」という。松本は父が撮影に同行したのを知らなかったようで、その話を聞いた途端に「おとんも(一緒に)行ってたんかい!?」とびっくりしていた。この罰ゲーム放送回の翌週の放送では、松本と浜田が秋子が現地で購入した全く同じイラストのTシャツを着てフリートークを行った。

24時間浜田雅功営業中(1999年春)浜田雅功[編集]

ゴルフ対決(1998年10月18日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。1999年4月19日に当時の日本テレビのスポットCMだった「日テレ営業中」を毎回コスチュームを変えながら全部で32回、24時間生放送で行った(コスチュームの内容としては、SM嬢・バレリーナタモリ篠原ともえなど)。『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』、『おもいッきりテレビ』などにも生出演。『おもいッきりテレビ』では『がきデカ』の扮装で出演したが、スタジオ内は終始静かでみのもんたが大笑いしてその場をフォローした。コスチュームの内容は全て松本がFAXで指示。1999年4月25日5月1日と2週に渡って放送した。罰ゲーム執行前、松本は浜田に電話をかけ「『がんばんびー』と言え!」と指令。

ちなみに罰ゲームに当たっては大規模な記者会見も催され、桜田和之CPの「これ社運がかかってます!浜田君には是非頑張って、日本国民を感動させてもらいたい!!」との激励に浜田は「なら止めたらええがな!!」と激怒。また会見の場で浜田は「ゴルフで負けたって言うてもね、あんな(松本チームは4人全員打って、初めて1打、グリーンのみ1打ずつ)ルールどうですか!?皆さん!!」と対決をした際、明らかに自身に不利であったルールに対しても激怒していた。

なお、浜田は取材に来た本物の記者達をエキストラだと思っていたようで松本に「ちゃんとした社会人たちやからな!」と怒られた。

山崎が松本の勝負どころで「これはもう、ダウンタウン対決ですよ!」と励ますが、松本は「ダウンタウン対決って…ダウンタウン対決で勝てへんからこんなルールになってるんちゃうん?」と弱音を吐いた。

24時間耐久鬼ごっこ(2000年春)浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)[編集]

100メートル走対決(1999年10月17日放送)に負けた浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)に対する罰ゲーム。東京品川区にある日産スポーツプラザ(現・コナミスポーツクラブ本店)でロケが行われた。24時間を体育館の中で過ごし、メンバーは中心に設置された四畳半の畳とこたつが置かれた場所で待機する。不定期に現れる黒タイツを着た鬼が登場したら鬼ごっこスタート。鬼に捕まると、胸に書かれた様々な罰ゲーム(タイキック、ビンタ、チ○コマシーン、ひしゃく、バレーボールマシーン、ロウ責め、紙しばい[3]・おしり[4]・ワンタンメン・はり手等)を受ける(罰ゲームには『卒業証書』も存在するが、不発に終わる)。一定時間鬼から逃げ切る事ができれば、罰を受けなくてもよい。ちなみに、罰ゲームの種類によって鬼が1人、又は2、3人以上(その他子供や松本が鬼になる場合もある)が現れる。鬼は基本的に体育館内に設置された黒いステージからブザー音が鳴って炭酸ガスとともに登場するが、稀に体育館のステージや体育館入口、映画(浜田主演の「昭和鉄風伝 日本海」)を観ている際にスクリーンを破って出てきたりもした。また、鬼に捕まらないよう守ってくれる白タイツを着た「おたすけマン」も登場するが、実は中に黒タイツを着た鬼(ジャイアントスイング)である。1999年9月12日放送のオープニングとして行われた企画「激走!泣く子も黙る恐怖の鬼ごっこ大会」が、この罰ゲームの元となっている(この時は、浜田チームの4人以外にも松本・雨上がり決死隊リットン調査団が参加。ひしゃく、顔面ねりわさび、チ○コ薬、博多ラーメン、ケツコットンの罰が行われた)。

精神的・肉体的にも番組史上最も過酷な罰ゲームとの呼び声が高い。特に鬼が登場する際に勢いよく、しかも何の前触れもなく大音響のブザーが鳴り響き炭酸ガスが噴射される為、ゲーム中は些細な音でもとても鋭敏に反応するようになり、藤原が登場する出囃子や浜田のすかしっ屁でも尋常でない程のビビリ様を見せた。後日談で山崎・田中・遠藤は、罰ゲーム中に浜田が怒って罰ゲームが途中で終了になるのを何度も願っていたと語る程。一方の浜田はこの罰ゲームによる疲労が甚大だった為、終了後しばらく仕事ができなかったと語っている(2001年5月27日放送分のトークにて)。なお、4人にとってこの罰ゲームは施行から10年以上経った現在でもトラウマとなっている様子が度々見られる。罰ゲームの模様は2000年3月26日4月2日9日と3週に渡り放送され20世紀最後の罰ゲームとなった。

またここでもヘイポーのヘタレキャラが炸裂。鬼のはずがメンバーによってたかってシバかれたり、持っているパイを奪われ逆にパイを食らうなどの返り討ちに遭い、浜田チームはもちろんの事、ヘイポーも散々だった。なおこの罰ゲームで唯一パイを食らったのは山崎で、1人でトイレに行ったところを一気に3人の鬼にパイ3連発を食らってしまった。DVD第1巻として発売されており、ガキ使シリーズのDVDでは売上第3位にランクインしている。

罰ゲーム中浜田は、松本からの差し入れ(カップラーメン・肉まん・ソーセージ)を不当に分けられたり、就寝時の布団も小さく汚いものを宛がわれる等終始扱いが悪かった。後々の「笑ってはいけないシリーズ」の浜田に対する不当な扱いの発端となっている。

また、2010年大晦日の「絶対に笑ってはいけないスパイ」・2013年大晦日の「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍」・2014年大晦日の「絶対に笑ってはいけない大脱獄」・2015年大晦日の「絶対に笑ってはいけない名探偵」・2016年大晦日の「絶対に笑ってはいけない科学博士」では、これが下地となった「捕まってはいけない」というゲームも行われた(捕まってはいけないスパイ・捕まってはいけない地球防衛軍・捕まってはいけない大脱獄・捕まってはいけない名探偵・捕まってはいけない科学博士。特にスパイでは、鬼が登場する舞台が現れるなり、松本以外の4人は口々に痛めつけられた事を思い出していた。なお、松本は、何れの回も鬼ごっこには参加していない(スパイでは、手術後間もない事から逃走するのが困難だった為。地球防衛軍・大脱獄・名探偵・科学博士では、別の罰を受けた為)。

ひとりぼっちの廃旅館一泊二日の旅(2001年夏)松本人志[編集]

浜田チームのリベンジを懸けて行われた水泳対決(2001年2月11日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。廃旅館[5]で一泊し、次々と起こる心霊現象に絶叫し続けた。大型の罰ゲームとしては、1人であること(2人以上で受ける罰と違い、1人で全ての罰を受けなければならない)・何かをしたら罰を受けるという形になっていないという特徴がある。8月5日12日19日26日と4週に渡り放送され21世紀最初の罰ゲームとなった。DVD第2巻として発売されている。ガキ使のDVDでは第2位にランクインしている。

特に、小便を済ませるためにトイレに行って用を足そうとしたときに女の幽霊が目の前に現れる場面では、松本は「うわぁー!!ちょっとアカン、これはアカン!これはアカンで!これはアカンで~!!もぉ~アカンて、ションベン出てんのに!(1回目)」「うわぁー!!もうイヤやってぇ~!(2回目)」「うわわわわわ、もう~!!もうええて、もうええて!!(3回目)」「うわわわわわああー!!…それやめろや、もう~。(4回目)」と尋常ではない怖がり方をしていた。結局、松本はトイレで小便が済ますことが出来ず、「オンエアとかそんなん関係あらへん」と、部屋にあった紙コップに用を済ませるという醜態をカメラの前でさらしてしまい、山崎には「アレ最低なんですよね」と呆れられていた。山崎は対決・罰ゲームシリーズで珍しく罰を与える側に回った。最初の登場では松本を驚かせたがその後はスタッフの陰謀でトイレの女幽霊にはめられた挙句、旅館の中で迷子になってしまった。山崎に限らず、仕掛け人サイドも色々な仕掛けに恐怖した。

早朝松本レンジャイショー(2002年夏)松本人志[編集]

撮影場所の日テレ麹町

走り幅跳び対決(2002年5月5日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本の母(秋子)・父(譲一)・姉(直美)・兄の松本隆博と共に当時の日テレ本社の駐車場でヒーロー戦隊ショーを演じた。数年ぶりに親子5人が一堂に会した打ち合わせ風景が見物で松本は家族と会えて結構楽しんでおり、ある意味罰ゲームらしくない終始和やかでアットホームな雰囲気であった。その様子を見て山崎は「罰ゲームとちゃいますやん!」とボヤいていた。7月26日早朝4時25分 - 4時30分の5分間生放送された。8月4日11日と2週に渡り放送。DVD第7巻に収録。なお当初の罰ゲーム予定日には台風が接近しており、交通機関が麻痺したため松本家が上京できず結局当初の予定日より2週間延期して企画は行われた。DVDには放送当時のテロップと時刻表示がそのまま収録されている。

実はこの罰ゲームは1993年の紅白予想対決の罰ゲームとして企画されていたのだが著作権の許可が降りず断念し、「早朝親子寄席」に至る運びとなった事が当時のトークで話されている。約9年の歳月を経て実現した罰ゲームである。松本は後日談で、日テレの駐車場(松本レンジャイ収録場所)に来るたびに松本レンジャイを思い出して嫌な気分になると話している。父は仮眠を取った後、台詞や振り付けを全部忘れていて挙句は落とした鈴が見つけられないというグダグダっぷりだった。

ノーリアクションパイ地獄(2002年秋)松本人志[編集]

2002年日本シリーズ勝敗予想対決(2002年10月27日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本は普通に家の中で過ごし黒子に扮した浜田・山崎・ココリコがひたすらパイを投げ続ける[6]中、全くリアクションせずに日常生活を送らなくてはならない。罰ゲームの模様は11月17日放送。DVD第7巻に収録。

ウラジオストクのウラジオストク中学の体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる!!(2003年年末)浜田雅功[編集]

2003年日本シリーズ優勝予想対決(2003年10月19日放送のトークにて)に敗れた浜田が「裏を読めない男」の烙印を押され[7]、「ウラジオストクウラジオストク中学校の体育館で、番長で殴られてくる」罰ゲームを科される。概要としては、浜田を「ウラ」のつくものづくしで責め立てるというもの。松本の指示で浜田は返しのタキシードに着替え出発、2泊3日に渡りまず東京駅の新幹線ホームで元読売ジャイアンツ壽夫選手が現れるや否やこれが新潟空港まで続くこととなる。JR上越新幹線新潟駅へ行き[8]、航空便の出発まで新潟市内観光も行い、新潟空港から飛行機[9]ウラジオストクへ向かう。現地到着後もウラジオストク中学校に向かう途中様々なを見せられた後、ウラジオストク中学校に門から入らされ、番長のウラジミール君により罰が執行された。道中の案内人は島太郎に変装した田島雄一(元ダウンタウン チーフマネージャー)。罰ゲーム中は終始返しにされた料理が出され続けた他、BGMも山本リンダの「狙いうち」(「うらら〜うらら〜」の部分、目覚まし時計の音声にも使われた)、甲斐バンドの「切りの街角」や中島みゆきの「うらみ・ます」が使われるという徹底振りであった。罰ゲームの模様は12月14日21日の2週にわたって放送。DVD第7巻に収録。この企画以降の松本vs浜田・対決シリーズは2003年から始まった罰ゲーム『笑ってはいけない』以外行われておらず、後に『笑ってはいけない』は全員参加となったため、松本vs浜田・対決シリーズに一旦ピリオドが打たれた。

脚注[編集]

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  1. ^ ただし現在当番組をネットしている局でも、放送当時未ネットであったり、放送局の都合などで一時期放送を休止していたネット局などがあるため、ネット局によっては放送されなかった企画もある。
  2. ^ 現在当番組をネットしている秋田放送南海放送は松本の罰ゲーム出演当時『ズームイン!!朝!』は非ネットだった他(この2局では当時TBSHOTLINE』をネットしていた)、四国放送では自社制作番組である『おはようとくしま』を放送していたため『ズームイン!!朝!』は最後まで非ネットだった。ちなみに日テレ系新局開局前(松本の罰ゲーム出演当時)の地域における『ズームイン!!朝!』のネット状況は、長崎県では当時クロスネット局だったテレビ長崎で、鹿児島県では同じく当時クロスネット局だった鹿児島テレビで放送された。石川県ではテレビ金沢の開局前だったため、『ズームイン!!朝!』は当時非ネットだった。
  3. ^ 2回目には最後のページに『頭突き』と書かれており、執行された。
  4. ^ 全裸の男児が尻を顔面騎乗していく。2回目は最後に松本も参加した。
  5. ^ 設定上では廃旅館であるが、ロケ地は神奈川県相模原市緑区(旧藤野町)にある「陣渓園」という営業中(このロケのみ特別に貸切)のれっきとした旅館である。
  6. ^ 一度だけ、配達員からパイをぶつけられた。
  7. ^ この年の日本シリーズは全て裏の攻撃側(ホームチーム)が勝ったため。
  8. ^ この時、浜田が座った座席は進行方向とは向きにされていた。
  9. ^ ウラジオストク航空を利用。