松平頼敬

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松平 頼敬(まつだいら よりゆき、天明7年1月14日1787年3月3日) - 文化4年11月8日1807年12月6日))は、常陸宍戸藩の第6代藩主。第5代藩主・松平頼救の長男。母は杉崎氏。正室は松平頼周高松藩主・松平頼恭の六男)の娘。側室に田口氏、服部氏。子に銀(秋元広朝室、のち天野昌凭室、のち久保田政徳室)。官位は従五位下、靭負佐。幼名は信之助。

生涯[編集]

享和2年(1802年)4月5日、父の隠居により跡を継ぐ。文化4年(1807年)11月8日に父に先立って21歳で死去し、跡を養嗣子の頼筠(宗家の従兄・水戸藩徳川治紀の四男)が継いだ。法号は円暁院殿廓誉法然浄性大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山