松平重長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

松平 重長(まつだいら しげなが、天正2年(1574年) - 慶長20年1月5日1615年2月2日))は、安土桃山時代から江戸時代武将松平重勝の次男。母は鳥居忠吉の娘。正室は毛利高政の娘。兄は松平重忠、弟は松平勝隆など。淡路守。

徳川家康の六男松平忠輝越後高田藩)の付家老として、越後三条2万石を与えられた父に付随する。長兄は将軍家で大番頭を務めていたため、重長が手元に置かれた。

後年、主君忠輝が改易となるが、その上使を務めたのが弟和泉守勝隆だった。勝隆は、高田より先に三条の父兄の元を訪れ、忠輝除封を報告した。その後、忠輝の家中への申し渡しでは父の重勝と共に、弟とはいえ上使である勝隆に伏し従う形だったと伝わる。