松平忠章

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松平 忠章(まつだいら ただあき、寛文12年(1672年) - 享保20年8月28日1735年10月14日))は、伊勢国長島藩の2代藩主・松平忠充の長男。母は松平典信の娘。初名、忠勝。通称、求馬。靱負佐、石見守。正室は松平信応の娘。

暗愚な父とは対照的に文武両道に秀でた人物であったという。父との関係が悪化し、鬱屈が溜まっていたと思われるが、元禄元年(1688年)に城内でうたた寝をしていた際、知らぬ間に自分で自分の腹を刀で突き刺してしまった。突然の事態に慌てて寄って来た家来に自分は正気であると伝えたという。しかし、このことで乱心とされ、廃嫡されたとも、自ら辞したとも伝わる。のちに生母の実家の領地の丹波国篠山に住した。