松平容住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平容住
Matsudaira Kataoki.jpg
松平容住像(土津神社所蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 安永7年11月20日1779年1月7日
死没 文化2年12月27日1806年2月15日
改名 金之助(幼名)→容住
神号 貞昭霊神
墓所 福島県会津若松市東山町会津藩主松平家墓所
官位 従四位下、侍従若狭守、肥後
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥会津藩
氏族 会津松平家
父母 父:松平容詮、母:鈴木氏
兄弟 容住容序
正室:井伊直幸の娘)
容衆
養子:容敬(三男扱いだが実は松平義和の三男)

松平 容住(まつだいら かたおき)は、陸奥国会津藩の第6代藩主。会津松平家第6代。松平容詮(第3代藩主松平正容の九男・容章の長男)の長男。

生涯[編集]

寛政元年(1789年)、侍従兼若狭守に叙任。先代の第5代藩主・容頌の養子となっていた父が家督相続前に死去したため、文化2年(1805年)の容頌の死後に跡を継いだ。

容頌と同じく田中玄宰を登用して改革を行なおうとしたが、就任して1年足らず(在任5か月[1])の同年12月に28歳[1]で死去し、跡を次男の容衆が継いだ。

脚注[編集]

注釈[編集]

引用元[編集]

  1. ^ a b 野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P112

参考文献[編集]