松平宗昌

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松平宗昌
時代 江戸時代
生誕 延宝3年6月23日1675年8月14日
死没 享保9年4月27日1724年5月19日
改名 幼名:仙鉄(千鉄)→ :昌興→昌平→宗昌
戒名 豊仙院円誉照元安住
墓所 東京都港区虎ノ門 天徳寺
東京都品川区南品川 海晏寺に改葬
官位 従四位下侍従
越前松岡藩第2代藩主
 →福井藩第9代藩主
氏族 越前松平家
父母 父:松平昌勝、母:中根氏(葉津)
兄弟 綱昌(長男)、昌平(宗昌)(三男)、昌純(四男)、昌邦(吉邦)(六男)、昌賁(七男)、娘(諏訪忠虎正室)、娘(大田原清信正室)、娘(出雲松江新田藩主のち松江藩第4代藩主松平吉透正室正室、後に従四位上左近衛中将飛鳥井雅直(公家)室)
正室:菊姫(松平頼元の娘)(小笠原忠雄養女)
側室:杉山氏
勝姫(毛利宗広正室)
養子:宗矩松平知清の次男)

松平 宗昌(まつだいら むねまさ)は、越前松岡藩の第2代藩主、のち越前福井藩の第9代藩主[注釈 1]。越前松岡藩初代藩主松平昌勝の三男。母は中根氏(葉津)。正室は水戸支流額田藩主・松平頼元の娘(小倉藩主・小笠原忠雄の養女)・菊姫。側室に杉山氏。子に勝姫(毛利宗広正室)。官位は従四位下、侍従。

経歴[編集]

延宝3年(1675年)6月23日、松岡で生まれる。幼名は仙鉄。元禄6年(1693年)、最初は昌興(まさおき)と名乗る。父の死去により越前松岡藩を継ぐ。このときの名乗りは昌平(まさひら)である。享保6年(1721年)に本家の藩主となっていた弟の松平吉邦が嗣子無くして死去したため、12月11日にその跡を継ぎ、18日に侍従に任じられた。このとき、松岡藩は本家に併合されて廃藩、福井藩は合計30万石となった。第8代将軍徳川吉宗より偏諱を拝領して宗昌(むねまさ)と改名する。

40代半ばを過ぎての本藩就任であり、当時としては既に跡継ぎを望むには高齢で、かつ後継者がなかった。そのため、藩主就任と同時に幕府の指示により、越前松平家一族(前橋松平家)の松平宗矩を養嗣子とする。福井藩に相次いだ当主後継を巡る御家騒動の再発を防ぐための、幕府の事前措置と思われる。宗矩は先代藩主・吉邦の一人娘を正室に迎える。享保9年(1724年)4月27日、宗昌は江戸で死去し、跡を宗矩が継いだ。享年50。墓所は東京都港区虎ノ門(西ノ窪)の天徳寺。のち東京都品川区南品川の海晏寺に改葬された。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 一般には福井藩第3代と数える松平忠昌以降を別系統(別藩)と捉える学説・主張もあり、それに従えば第7代となる。

出典[編集]