松平勝尹

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松平勝尹
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年(1713年
死没 明和5年3月26日1768年5月12日
改名 権七郎、源三郎(幼名)→勝尹
別名 勝延
戒名 徳現院殿禅巌道悦大居士
墓所 東京都豊島区巣鴨の白泉寺
官位 従五位下、玄蕃頭、大蔵少輔、豊前
幕府 江戸幕府
下総国多胡藩
氏族 久松松平氏
父母 父:松平勝久、養父:松平勝房
正室:松平忠刻の養女(松平観敬の娘)
勝全久松尹方(次男)、飯河信門(四男)、
娘(本多忠興正室)、政(安藤次猷正室)、
娘(脇坂安崇室)

松平 勝尹(まつだいら かつただ)は、下総多胡藩の第3代藩主。

正徳3年(1713年)、多胡藩分家の旗本松平勝久松平勝義の七男・勝秀の子)の長男として生まれる。享保12年(1727年)2月2日、家督を継いで300俵取りの旗本となる。享保14年(1729年)11月23日、本家の多胡藩主松平勝房の養子となる。享保21年(1736年)4月6日の養父の隠居で家督を継ぎ、元文元年12月(西暦では1736年)に従五位下・玄蕃頭に叙位・任官する。

延享元年(1744年)11月6日に大蔵少輔に遷任する。延享2年(1745年)2月9日から延享4年(1747年)5月2日まで大番頭を務めた。寛延4年(1751年)2月5日に豊前守に遷任する。

明和5年(1768年)3月26日に死去した。享年56。跡を長男の勝全が継いだ。