松平勝升

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松平勝升
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永7年5月10日1778年6月4日
死没 文政元年9月5日1818年10月4日
改名 辰次郎、源三郎(幼名)→勝升
戒名 徳誠院殿泰山道光大居士
墓所 東京都豊島区巣鴨の白泉寺
官位 従五位下中務少輔大蔵少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
下総多胡藩
氏族 久松松平家康俊
父母 父:松平勝全、母:松平信直
兄弟 勝従勝升村上正方全好
永田全賢久松全正
正室:植村家長
養子:勝権寿美
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松平 勝升(まつだいら かつゆき)は、江戸時代中期から後期にかけての大名下総国多胡藩5代藩主。官位従五位下中務少輔大蔵少輔

略歴[編集]

安永7年(1778年)5月10日、4代藩主・松平勝全の次男として誕生。兄・勝従が早世したため、安永8年(1779年)4月25日に世子となる。寛政6年(1794年)10月6日、父が病気を理由に隠居したため家督を継いだ。12月16日に従五位下・中務少輔に叙位・任官する。

文政元年(1818年)9月5日(異説として8月)に死去した。享年41。跡を養子・勝権が継いだ。

系譜[編集]