松平勝以

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松平勝以
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文元年8月15日1661年9月8日
死没 享保13年2月14日1728年3月24日
改名 権之助(幼名)→勝以
別名 通称:半左衛門
戒名 徳芳院殿興岩道盛大居士
墓所 東京都豊島区巣鴨の白泉寺
官位 従五位下甲斐守豊前守大蔵少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
下総多胡藩
氏族 久松松平家康俊
父母 父:松平勝義、養父:松平勝忠
兄弟 勝則勝忠土屋知義勝光勝直
勝郷勝秀木村清真勝以
正室:池田政武養女
継室:西洞院時成
権太郎、勝房
養子:神保茂清水野吉藤
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松平 勝以(まつだいら かつゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本大名下総国多胡9000石の旗本から後に下総多胡藩初代藩主。官位従五位下甲斐守豊前守大蔵少輔

生涯[編集]

寛文元年(1661年)8月15日、旗本・松平勝義の九男として誕生。兄の勝忠に子がなかったため、寛文2年(1662年)に養子となる。延宝4年(1676年)12月に従五位下・甲斐守に叙位・任官する。延宝8年(1680年)、兄の死去により家督を継いで9000石の旗本となる。

貞享元年(1684年)11月、上総国佐貫藩主・松平重治改易されたため、佐貫城守備を務めた。貞享4年(1687年)1月から2月まで5代将軍・徳川綱吉小姓となる。元禄6年(1693年)7月に豊前守に遷任し、元禄8年(1695年)に定火消役に任じられた。元禄10年(1697年)2月に小姓組番頭に任じられ、元禄12年(1699年)2月に書院番頭に任じられる。

宝永4年(1707年)7月13日、将軍世子の徳川家宣の次男・家千代の傅役を命じられたが、家千代が9月に早世したため、綱吉の側衆に任じられ、官位も大蔵少輔に遷任された。

正徳3年(1713年)8月3日、大坂定番に任じられ、同時に摂津国島上郡などで3000石を加増されて合計1万2000石の大名、初代多胡藩主となった。享保13年(1728年)2月14日に死去した。享年68。跡を次男・勝房が継いだ。

系譜[編集]