松山眞一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

松山 眞一(まつやま しんいち、本名: 曺 圭化、チョ・ギュファ、조규화、1927年 - )は、指定暴力団極東会会長、極東五代目。

来歴[編集]

昭和58年(1983年)、東京都池袋で、住吉連合会(会長は堀政夫幸平一家極東関口(総帥は松山眞一)三浦連合会(後の極東会真誠会)とが抗争事件を起こした。堀政夫と松山眞一とが会談し、和解が成立した。これを機に、博徒と的屋との親睦を図っていく機運が生まれた[1]

昭和59年(1984年)、関東に本拠を持つ神農組織が大同団結して、関東神農同志会を結成した。中核組織は極東関口会(会長は田中春雄)だった[2]

平成2年(1990年)11月、松山眞一は極東関口会を継ぎ、極東関口会を極東会と改称した[3]

平成5年(1993年)7月21日、東京都公安委員会は、極東会を指定暴力団に指定した[4]

同年10月、松山眞一は、極東櫻井一家関口五代目を継いだ[3]

平成7年(1995年)5月、松山眞一と稲川会稲川裕紘会長は親戚の血縁盃を交わした[5]

同年7月、松山眞一と住吉会西口茂男会長は親戚の血縁盃を交わした[5]

平成8年(1996年)3月、松山眞一と松葉会牧野国泰会長(本名は李春星)は親戚の血縁盃を交わした[5]

脚注[編集]

  1. ^ 山平、p.326
  2. ^ 山平、p.325
  3. ^ a b 山平、p.249
  4. ^ 松江八束建設業暴力追放対策協議会. “指定暴力団”. 2011年9月16日閲覧。
  5. ^ a b c 山平、p.327

参考文献[編集]

先代:
三浦周一
極東関口一家三浦
2代目: 19**-19**
次代:
池田亨一
先代:
田中春雄
極東
5代目: 199*-
次代: