松尾寺 (香川県琴平町)

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松尾寺
Matuozi02.jpg
本堂
所在地 香川県仲多度郡琴平町字川西973番地
位置 北緯34度11分8.8秒
東経133度49分6.2秒
座標: 北緯34度11分8.8秒 東経133度49分6.2秒
山号 象頭山
宗派 高野山真言宗
本尊 釈迦如来
創建年 大宝年間(701~04年)
開基 役小角
正式名 象頭山 普門院 松尾寺
札所等 新四国曼荼羅霊場16番
法人番号 9470005003083 ウィキデータを編集
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松尾寺(まつおじ)は、香川県仲多度郡琴平町にある高野山真言宗寺院。山号は象頭山。院号は普門院。本尊は釈迦如来で、新四国曼荼羅霊場第16番札所。

ご詠歌:みあぐれば 心もきよき 象頭山 金の御幣に 神ぞまします

歴史[編集]

山門

象頭山松尾寺[1]の縁起によれば、大宝年間に修験道役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺霊鷲山に住する護法善神金毘羅(クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅権現になったとする[2]

だが、長曽我部による讃岐国侵攻で多くの古い記録が焼失し金毘羅大権現の記録があるのは近世以降である。それまで松尾寺は観音堂の十一面観音菩薩立像が本尊で、三十番神が守護神であった。1573年(元亀4年)松尾寺金光院の初代院主・宥雅が金毘羅堂を建立し、新たな守護神として金毘羅神を勧請し金毘羅権現として祀り、金光院は金毘羅堂の別当となる。 その後、1579年(天正7年)長宗我部元親が当山を讃岐の宗教上の拠点にしようと侵入してくると反長曽我部だった宥雅が堺に亡命するや長曽我部は配下の宥厳を院主に据え、1584年(天正12年)には仁王門(現・賢木門)を建立するなど寄進をした。しかし、秀吉軍との戦いで5年ほどで長曽我部勢力は讃岐から撤退することとなる。そして、1600年に宥厳が亡くなった後、その弟子の宥盛が跡を継ぎ金毘羅権現の信仰を広め境内を整備し、そして、後発の塔頭だった金光院が全山を支配するようになり、松尾寺本堂本尊の十一面観音を金毘羅大権現が凌駕するようになった。宥盛は1606年自らの像を作って本殿脇に祀り1613年亡くなった後しばらくして観音堂後堂に祀られ、現在、宥盛は奥社に祀られているが宥盛像の存在は不明である。

明治元年(1868年)のとき象頭山金毘羅大権現は神仏習合の社で別当の松尾寺金光院と塔頭の神護院・尊勝院・萬福院・真光院・普門院があったが山内を取り仕切っていたのは金光院19代院主宥常であった。明治新政府の神仏分離は当山も包み込むことになり、宥常は5つの塔頭の院主ら幹部を集めた協議をし、その結果は金毘羅はもと天竺の神で此山に飛来して給ふたもので日本の神々とは関係ない故に神仏分離の対象にはあたらないので従来のままの祀り方でとの方針が決定、それを陳情するため宥常らは京に上ったが、京都の寺々の惨状を目の当たりにして政府の方針である神仏混淆の禁止・社僧に還俗を命ずることをしなければ御山を維持できないことを確信し、帰山してからは次々と変革を断行していった[3]。その結果、琴平山金刀比羅宮と名称を変え、主祭神の名は大物主神と定め、相殿に崇徳天皇を祀り、普門院を除く松尾寺金光院と4つの塔頭はすべて廃寺とし所有物は全て神社へ移行することとなり、多くあった仏式の堂や祠は神式の摂社となったり取り壊された。なお、普門院の院主宥暁と尊勝院院主は最後まで神仏分離に反対しており、また、普門院は大門(元仁王門)の外にあり檀家の葬儀を執り行っていたため存続を認められ、明治3年仁和寺末寺となり、明治5年院主宥暁と弟子2名ともに、現在は金刀比羅本教総本部になっている場所から、金光院の別荘のあった現在地に普門院松尾寺として移動し、その後、共に出た宥音(宥智は早世)が明治7年に22世松尾寺住職となり、次には宥尭が23世となり法灯を継承していった。

金刀比羅宮は多くの改変がなされており主なものでは、本堂である観音堂は大年社を経て三穂津姫社となり、その本尊十一面観音(重文)と護摩堂の不動明王は宝物館に展示され、観音堂後堂に祀られていた宥盛像の脇仏だったと思われる不動明王と毘沙門天は転々としたのち岡山市の西大寺牛玉所殿(ごうしょでん)に二体で金毘羅大権現として合祀されている。金堂である薬師堂は旭社となり本尊は不明。多聞天と持国天を有した二天門は賢木門となる。金剛界大日如来を本尊とする13間5尺余(高さ約25m)と云われる大型の多宝塔は廃棄され今は馬の銅像が立つ。大門は左右の金剛力士像が武者像に変わり存続。その他にも阿弥陀堂・不動堂・摩利支天堂・毘沙門堂・孔雀堂・行者堂・三十番神社などが摂社に変更され、経蔵は文庫になり大師堂は廃止、鐘楼は麓の寺へ売却、多くの仏像経巻仏具等が売却または焼却される中、山内からかろうじて持ち出せた室町期の金毘羅大将像、鎌倉期の釈迦如来像(当寺本尊)、愛染明王像、南北朝の弘法大師像(県文化財)、江戸後期の釈迦涅槃図(縦320×横756cm)などが普門院松尾寺である当寺に奉安されている。

境内[編集]

柱には明治17年6月と
  • 山門
  • 本堂
  • 鐘楼堂
  • 庫裡

文化財[編集]

県指定有形文化財
  • 木造弘法大師座像 附:像内の納入品:南北朝時代作 平成21年3月31日指定
  • 木造五輪塔 1基 附:納入文書 1通 平成21年3月31日指定

所在地[編集]

  • 香川県仲多度郡琴平町字川西973番地

前後の札所[編集]

新四国曼荼羅霊場

15 顕正寺 ---- 16 松尾寺 ---- 17 仏母院

脚注[編集]

  1. ^ 新四国曼荼羅霊場ホームページ - 香川部会 - 新四国曼荼羅霊場第十六番札所
  2. ^ 象頭山松尾寺の略縁起
  3. ^ http://www.saidaiji.jp/html/kannon/konpira.html 金毘羅大権現 - 西大寺観音院(岡山県西大寺)]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]