松坂恭平

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松坂 恭平
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区
生年月日 (1982-11-23) 1982年11月23日(41歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 - )は、東京都江東区出身の元野球選手内野手)。社会人野球のTokyo Bay lustersに所属していた。

兄は元プロ野球選手松坂大輔、妻はフリーアナウンサー廣川明美

来歴・人物[編集]

学生時代[編集]

小学1年生で野球をはじめ、江戸川南リトル時代は投手遊撃手として全国3位に輝く。中学時代は軟式野球で投手として活躍。

実兄・大輔に遜色なき実力を見込まれ、中学卒業直前に幾校もの強豪私学野球部から勧誘があったものの、2歳上の兄が私立横浜高等学校進学したあと、実父が失業(勤務先の倒産他)するなどの経済的事情から、東京都立篠崎高等学校に進学。篠崎高校時代は投手として1年生の夏から先発投手として出場するが、故障に悩まされ甲子園出場はできなかった[1]2年生時の1999年の夏季大会は、茶髪にツイストピンパーマの風貌で注目される。また、地元江戸川区対決の江戸川校戦(江戸川球場)では、三振を喫した際、判定に不服として、球審に詰め寄り、その後、球審に向かいバットを振りかざすジェスチャーをするなどわんぱくぶりを発揮する。この試合は、公立高校対決にもかかわらず満席となり、急遽芝生席を開放する異例の事態となった。[要出典]高校3年間で約60試合の出場ながら、通算本塁打は20本を記録。

高校卒業後は法政大学に進学し、東京六大学野球新人戦で投手として神宮球場のマウンドを踏む(対東京大学戦)。2年生の時には右足首を手術。3年生からは外野手に転向するものの、控えに甘んじた。大学の同期に田中彰らが、2年先輩には松坂大輔と横浜高校の同級生だった後藤武敏らがいた。

大学卒業後[編集]

卒業後は、アンダーアーマーを取り扱うスポーツ用品メーカー・ドームに就職・勤務の傍ら社会人クラブチームの東京LBCで内野手兼投手としてプレー。投手としてのMAXは142km。2006年愛媛マンダリンパイレーツのトライアウトに合格し、入団を果たし、勤務先を休職してプレーに参加した。2007年1月7日東京ドームで行われた茨城ゴールデンゴールズと兄・大輔率いる横浜サムライの壮行試合では、横浜サムライの3番ショートで参加。なぜか「柴田恭平」という名前で出場していた。6回には投手としても出場し、3者凡退に抑えた。2007年シーズンは遊撃手でレギュラーとなる[2]。11月11日に千葉ロッテマリーンズが「育成選手の独立リーグ派遣」を前提として実施した入団テスト[3]を受け、一次を通過し、契約も予想されたが結局指名はされなかった。同年11月30日付で愛媛を退団[2]

その後は、スポーツ用品メーカーに復職し、社業に就きながら[4]、再び東京LBC(2016年度よりTokyo Bay lustersにチーム名変更)でプレー。途中からコーチも兼任し、2016年度か2017年度をもって選手を引退した。

2015年12月、大学時代の同級生でフリーアナウンサーの廣川明美と結婚[5]

2019年2月まで高知ファイティングドッグス社長を務めた梶田宙(元・高知)は、松坂大輔が福岡ソフトバンクホークスを退団した2017年オフに、獲得を目指して、意向を確かめるために恭平に接触したと述べている[6]

2020年2月よりnoteYouTubeでの配信を開始。ドームの商品企画部部長、ユーチュー部プロデューサーを務めている[7]

プロ野球独立リーグ球団への所属経験があるため、学生野球の指導に携われなかったが、2021年2月5日に学生野球資格を回復している[8]

妻の廣川の地元である新潟市に移住し、2021年現在も継続してリモートワークを行っている。

脚注[編集]

  1. ^ 第82回全国高校野球選手権大会 北から南から - asahi.com. 2022年1月6日閲覧。
  2. ^ a b 愛媛、松坂ら8選手が退団 - Sports Communications(2007年12月4日)
  3. ^ 育成選手のアイランドリーグ派遣は困難に - Sports Communications(2007年11月6日)[リンク切れ]
  4. ^ ソフトB松坂が元同僚石井貴氏と記念写真”. 日刊スポーツ. 2015年2月6日閲覧。
  5. ^ “ソフトバンク松坂弟・恭平さん、廣川明美アナと結婚(1/3ページ)”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2016年5月29日). オリジナルの2018年5月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180520101903/http://www.sanspo.com/geino/news/20160529/mrg16052905050001-n1.html 2018年6月8日閲覧。 
  6. ^ 喜瀬雅則 (2018年10月13日). “松坂大輔、幻の独立リーグ「獲得計画」もあった…復活イヤーもいよいよラストゲーム”. AERAdot.. https://dot.asahi.com/articles/-/100197?page=1 2018年10月13日閲覧。 
  7. ^ “弟が明かした松坂大輔の素顔。ソフトバンクホークス時代は「さすがに弱っていた」”. 週プレNEWS. (2020年4月8日). https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2020/04/08/111074/ 2021年4月3日閲覧。 
  8. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2021年11月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]