松原敬生

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まつばら たかお
松原 敬生
プロフィール
本名 松原 敬夫
出身地 日本の旗 日本愛知県名古屋市北区
生年月日 (1944-08-05) 1944年8月5日(74歳)
最終学歴 同志社大学
所属事務所 トーク・オフィス・マツバラ
職歴東海ラジオ放送アナウンサー
活動期間 1968年 -
公式サイト 松原敬生・公式ホームページ
出演番組・活動
現在 松原敬生の日曜も歌謡曲
過去 ぶっつけワイド
おはよう松原敬生です

松原 敬生(まつばら たかお、1944年8月5日 - )は、元東海ラジオ放送アナウンサー、現在はフリーアナウンサー会社役員歌手。本名は「松原 敬夫」(読みは同じ)。血液型はB型

来歴・人物[編集]

愛知県名古屋市北区大曽根出身(生まれは東京)。名古屋市立六郷小学校、東海中学校・高等学校同志社大学法学部政治学科卒業。

1968年東海ラジオ入社。「ミッドナイト東海」「ぶっつけワイド」など人気番組のパーソナリティーを多数担当し、1970年代後半~90年代にかけて局の看板アナウンサーとして活躍を続ける一方、1980年代以降はアナウンス部長、ラジオ製作部長などの要職を歴任した。

2004年8月、東海ラジオを定年退職。その後も東海ラジオでパーソナリティーとして番組に携わるとともに、株式会社東海パック東海テレビ放送の関連会社)の代表取締役社長に就任、マネージメント会社としての個人事務所「トーク・オフィス・マツバラ」を立ち上げた。演歌歌手として『哀愁のトラッカー』などの作品を発表し、番組出演・講演活動と並行して活動している。

現在の出演番組[編集]

その他、各種イベントの司会など。

過去の出演番組[編集]

放送局記載がないものは、東海ラジオで放送されていた番組を表す。

また、過去には、東海ラジオの放送開始および終了アナウンスの読み上げも担当していた。

演歌歌手としての活動[編集]

  • 1979年、キャニオン・レコード「唸れ!! 快速球」のB面、「ひとえまぶた」(作詞:藤公之助、作曲:徳久広司、編曲:高田弘)でデビュー。その後下記の作品をリリース。
    • 哀愁のトラッカー - 同曲は松原の代名詞的な存在になっており、よく自身の番組や他番組内で(ネタとして)流されることがある。
    • グラス片手に
    • わが娘よ
    • 別れのラブソング
    • 港のおんな
    • 思い出をありがとう
    • 栄光への道(1982年、中日ドラゴンズ優勝カセット)
    • 松原敬生全曲集CDアルバム(1993年、アナウンサー生活25周年記念)
    • いつも側にいて(1995年2月22日、真咲よう子とのデュエット、クラウンレコード)
  • 松原が管理職に付くとともに「会社からアナウンサーに専念するように言われた」(後日談)というように、歌手活動はごく限られた機会にしか行なわれなくなった。しかし、東海ラジオを退職後本格的に歌手活動を再開、2007年3月7日に再デビューCD「おまえとともに」(作詞:高畠じゅん子、作曲:中川博之、編曲:前田俊明日本クラウン)をリリースした。

CM(ナレーション)[編集]

東海ラジオのみのオンエア(過去のものも含む)
TV

エピソード[編集]

  • アナウンサーを志した理由として、年の離れた実兄が中日新聞の記者であったことからマスコミに関心があったこと、小学生だったとき体育が決して得意でなかった松原が運動会で恥ずかしい思いをしないために放送部に入部して徐々に放送の世界に関心があったということを挙げている。
  • アナウンサー生活の中で唯一心残りになっていることは、野球実況が出来なかったことという。ドラゴンズに対する思いが東海ラジオのアナウンサーの中で最も強かったとも言われているが、犬飼俊久と共に3年間実況のトレーニングを積んだものの東海ラジオ ガッツナイターの実況を1度も務めることはできなかった(逆に犬飼はスポーツ以外のワイド番組を殆ど担当することはなかった)。演歌歌手として成功することと共に、ガッツナイターの実況を担当することが夢だと今でも語る。2009年9月9日に三重テレビ放送で生放送された『中日ドラゴンズ2軍茨城ゴールデンゴールズナゴヤドーム)』で、退職後でテレビではあるが、念願だった実況を行うことができた。また前述のエピソードを含めて、試合主催者の中日スポーツスーパーサタデー[2]東海テレビ。2009年9月12日放送分)で紹介された。
  • 石原裕次郎に心酔し「東海の裕次郎」と自称している。2017年10月からスタートした「J-LEGEND 2nd シーズン 石原裕次郎」では自身がパーソナリティを務めるとともに、同番組は石原プロの監修を受けて放送されている。
  • 妻との間に2女がいるが、局での仕事等で家を空けることが多かったという。たまたま早く帰宅すると、遅くにしか帰ってこないと夫人に思われたのか、おかずの魚の開きが3人分しかなかったという。この逸話は「さかな3匹、家族は4人」として今でも語り草となっている。
  • 50歳にして、タッチタイピングが出来るようになったと、源石和輝が語っている。
  • 鶏肉が嫌いである。

脚注[編集]

  1. ^ 期間限定「ぶっつけワイド」復刻版 | お知らせ | TOPICS - 東海ラジオホームページ 2016年7月16日閲覧
  2. ^ ここでは当日の様子を松原の実況の様子・松原の家族の様子・松原の実況を見守る犬飼の様子なども盛り込まれて放送された。

外部リンク[編集]