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東海道お化け道中

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妖怪シリーズ > 東海道お化け道中
東海道お化け道中
Yokai Monsters: Along with Ghosts
監督
脚本
製作 八尋大和 (企画)
出演者
音楽 渡辺宙明
撮影
編集 谷口登司夫
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 1969年3月21日[注釈 1]
上映時間 78分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 妖怪大戦争
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東海道お化け道中』(とうかいどうおばけどうちゅう)は、1969年昭和44年)3月21日に公開された日本映画[3][注釈 1]。製作は大映[3][2]大映京都撮影所[1][4])、配給は大映[3]カラー大映スコープ[2][注釈 2]。上映時間は78分[1][3]

父を探す娘と親分の仇を追う侠客が、妖怪の助けを得て冒険を繰り広げる時代劇特撮映画

妖怪大戦争』『妖怪百物語』と並んで「大映の妖怪シリーズ」と称される作品の第3弾[1][3][4]。「妖怪もの」の体裁をとってはいるが、正統派「人情股旅もの」の定番要素である「生き別れの父と娘」「やくざのイカサマ博打」「勧善懲悪」などを盛り込んだ内容となっており[3][4]、妖怪たちの劇中での描写は前2作に比べて尺も少なく、控えめとなっている[4][注釈 3]

劇場公開時の併映は『ガメラ対大悪獣ギロン[4]。地方によっては短編文化映画もプログラムに付加された。

ストーリー

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江戸時代。侠客・宮守の仁兵衛(みやもりのにへえ)は、対立するやくざ・火車(ひぐるま)組の悪事を暴く書状を胸に、代官所へ向かった。勘蔵親分率いる火車組は藤川宿近くの峠道で、仁兵衛ら宮守組を待ち伏せて斬り、書状を奪う。妖怪を祀った「鬼塚」の塚守り・甚兵衛(じんべえ)が祈祷のために偶然その場に居合わせていたが、口封じのために斬られ、「鬼塚」も壊される[3]。甚兵衛が斬られた夜は、全国から妖怪が「鬼塚」に集まる年に一度の夜だった。このため、火車組に霊地を汚された妖怪たちは怒り狂う。

勘蔵が奪ったはずの書状は懐の中から消え、甚兵衛の幼い孫娘・お美代の手の中に収まる。お美代はすぐに書状を投げ捨てるが、やくざたちは書状を持って逃げたと思い込み、お美代を追い回す。捨てられた書状は風に乗ってどこかへ飛んでいく。瀕死の甚兵衛はお美代に、彼女の生みの父親が由比宿の職人・彫辰の弟子、唐八(とうはち)という男であることを告げ、「これを唐八に見せろ」とサイコロを渡して息絶える[3]。お美代はやくざたちから逃げるため、東海道を一路上り、父を訪ね歩く旅に出る[3]

仁兵衛暗殺の手引きは、彼の側近・賽吉(さいきち)の裏切りによるものだった。勘蔵は賽吉に、書状の奪還および、宮守組の生き残りで、伊勢代参から帰ってくる途中の百太郎(ひゃくたろう)の暗殺を命じる。妖怪たちは、たびたび子分たちや賽吉の前に現れて脅かし、因果応報を言い含めるが、悪事の露見を恐れるやくざたちは耳を貸そうとしなかった。

お美代は火車組の手下たちに狙われ続けるが、偶然出会った百太郎、馬子の少年・新太、そして妖怪たちに助けられながら由比へ向かう[3]。しかし百太郎は、道中で出会った賽吉の計略のためにお美代と離れ離れとなる。さらに、火車組の用心棒である浪人・権九郎から仁兵衛の死を知らされる。由比に着いた百太郎はひとりで彫辰のもとへ行き、唐八のことをたずねるが、彫辰は「唐八は7年前、生まれたばかりの娘を舅に預け、やくざとなって街を離れた」と答える。一方、由比に着いたお美代は、追いついてきた賽吉に捕らわれる。新太は百太郎を探し出し、助けを求める。

賽吉はお美代を人質にして百太郎をおびき寄せることを思いつき、殺さずに組の屋敷に連れ帰る。彼は書状を求めてお美代の荷を探るが、その中にサイコロを見つけて驚愕した。賽吉のかつての名は唐八、すなわちお美代が生き別れた実の娘なのだ。真相を知った唐八はお美代を逃がそうとするが、二人とも火車組に捉えられてしまう。サイコロを見た勘蔵は、唐八の命を賭けた丁半博打をお美代に提案する。だがサイコロは何度やってもお美代の通りに出る。唐八は言った。サイコロは亡き妻の遺骨から作った形見で、母親が護っているのだと。仰天した火車組の前に、突如たくさんの妖怪たちが出現して屋敷を取り囲み、彼らを追い立てる。

百太郎は立ちはだかる権九郎を倒し、屋敷にたどり着く。百太郎は親分の仇である賽吉=唐八を斬ろうとし、罪を恥じていた唐八も身をまかせるが、お美代がそれを押しとどめる。森の中に追い詰められたやくざたちは、亡霊となった甚兵衛率いる妖怪軍団に次々ととり殺される。書状がふたたび風に乗って現れ、百太郎の手の中に収まる。これを読んですべての真相を知った百太郎は、書状を追って駆けて来た勘蔵の姿を認め、怒りを込めてひと太刀で仕留める。すべてを見届けた妖怪たちは、喜び踊りながら行列をなして夜の闇の中に消えていった。

登場妖怪

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百々爺
駿河の国の妖怪。本作で初登場[4]
蛇骨婆
遠江の国の妖怪。劇中では「鬼塚」の主。本作で初登場[4]
ぬらりひょん
「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する。前二作までの羽織姿と違い、粗末な着物に杖という姿。
動く木[4]
本作初登場の妖怪[4]。八つ墓山の木々の、葉の落ちた枝が人の手のようになって侵入者に絡みつく。
土転び
八つ墓山に刃物を持って踏み入った五郎吉と紋太の前に現れる。お美代らには石灯籠に見える。
のっぺらぼう
お美代と新太を追って八つ墓山に踏み入った五郎吉と紋太の前で、お美代と新太が眼も鼻もない顔になって現れる。
泥田坊
最後の行進では二体登場。槍のようなものを持っている。
妖怪水車
本作初登場の妖怪[4]。水車の周りを生首が飛び回る。火車一家の屋敷のそばに現れた。
火吹き婆
「左近の桜」に位置する妖婆。本作では火を吹く場面は無かった。立看ポスターでは主役級のアップだったが、劇中では脇役寄りであった。
ひょうすべ
「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する。
白粉婆
「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する。
青坊主
「右近の橘」に位置する妖怪忍者。「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する。
一角大王
妖怪の近習頭。最後の行進にも参加。
毛女郎
「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する。
狂骨
人形の操演で表現された。「大映京都妖怪三部作」すべてに登場し、最後の行列では、列の周りをふわふわと漂った。
烏天狗
火車一家の屋敷に影となって現れる。
一つ目小僧
八つ墓山の墓石から変化する。前二作までの白衣と違い、黒ずんだ粗末な着物を着ており、一つ目もはっきりは見えない。
陰摩羅鬼
火車一家の屋敷に、陰摩羅鬼らしき影が現れる。
うしおに
立看ポスターのみ登場。
人魂
生首
百太郎の夢に現れる。
その他
八つ墓山の墓石が妖怪に変化する場面で、目を光らせたシルエットで現れる詳細不明の妖怪が登場する。

キャスト

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順は本作冒頭のタイトルバックに基づく。役名の一部はキネマ旬報映画データベース[5]によった。

スタッフ

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監督を除く順と職掌は本作冒頭のタイトルバックに基づく。クレジットのない一部スタッフは別資料で補う。

ノンクレジット (スタッフ)

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製作

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キャスティング

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妖怪たちのほとんどは『妖怪大戦争』『妖怪百物語』に続き、大阪の児童劇団[どれ?]子役が演じている。

「大映妖怪三部作」すべてに登場する「白粉婆」役の山村嵯都子は大映京撮出身のベテランで、のちに原口智生監督の映像作品『さくや妖怪伝』(2000年)と『跋扈妖怪伝 牙吉』(2003年)でも白粉婆を演じている。当時70歳を越えていた山村は、原口監督の要請に応え、本三部作を懐かしんで嬉々として演じたという[7]

撮影・特殊造形

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妖怪造形は前2作に引き続き、八木正夫を代表とする造形会社「エキスプロダクション」が担当した。衣装の制作は東京の工房で行い、京都の撮影所に持ち込んでいる。エキスプロは撮影にも立ち会っている。

本作での妖怪について、監督の黒田義之は「普通の時代劇の中に妖怪を引っ張り出して、悪を滅ぼすという話」としていて、「これは妖怪を人間だと思って撮りました。人間にはいろんな人がいますが、妖怪の方が人間よりずっとましですよ」とコメントしている[要出典]

劇伴

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劇伴音楽は『妖怪百物語』(1968年)に続いて渡辺宙明が担当。録音は京都で行われるため、渡辺はギター、ベース奏者を連れて、京都での録音に立ち会って細かい指示を出したといい、「大変でした」と語っている[要出典]。妖怪の描写に使われる主旋律は、アレンジされて3年後に渡辺が担当するTV特撮映画『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』(東映、NET)に活用されている。渡辺は「私のファンの方には“宙明節の原点ここにあり”と思って聞いていただけると嬉しいですね」とコメントしている[要出典]

映像ソフト

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漫画版

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週刊少年キング』(少年画報社
浜慎二による漫画化作品『恐怖まんが 東海道お化け道中』が1969年14号~15号にかけて集中特集掲載された。14号で前編20ページ、15号で後編19ページ。
この『恐怖まんが 東海道お化け道中』は、上述のLD『妖怪封印函』の特典付録として、単行本1冊にまとめて収録されている。

脚注

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注釈

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  1. 1 2 資料によっては、3月12日と記述している[1][2]
  2. 資料によっては、ワイドと記述している[1]
  3. 書籍『大特撮 日本特撮映画史』では、「3作目にして疲れを見せてきた」「新味がなく、単なるお化け映画に仕上がっていた」と評している[1]

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 大特撮 1985, p. 308, 「戦後日本特撮映画作品リスト」
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 特撮全史 1950-60年代 2017, p. 142, 「1950's-1960's 日本空想、特撮映画総覧 大映」
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 特撮全史 1950-60年代 2017, p. 69, 「1969 東海道お化け道中」
  5. 1 2 3 4 5 6 東海道お化け道中 - KINENOTE
  6. 『甦れ!妖怪映画大集合!!』 2005年 竹書房 ISBN 4-8124-2265-5. 116-119頁「黒田義之八木功渡辺宙明インタビュー」
  7. 『ぼくらが大好きだった特撮ヒーローBESTマガジン』(講談社)[要ページ番号]
  8. 『宇宙船YEAR BOOK 1998』朝日ソノラマ宇宙船別冊〉、1998年4月10日、62頁。雑誌コード:01844-04。
  9. 1 2 「2000TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 2001』朝日ソノラマ〈宇宙船別冊〉、2001年4月30日、67頁。雑誌コード:01844-04。

参考文献

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外部リンク

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