東海林周太郎
引退 | ||||||||||||||||||||||||
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日本語 | 東海林周太郎 | |||||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1933年11月12日 | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2017年7月15日(83歳没) | |||||||||||||||||||||||
出身地 | 山形県 | |||||||||||||||||||||||
日本鉱業 | ||||||||||||||||||||||||
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東海林 周太郎(しょうじ しゅうたろう、1933年11月12日 - 2017年7月15日[1])は、山形県出身のバスケットボール選手・指導者である。
人物[編集]
山形東高校から立教大学に進み、全日本チームの一員としてメルボルン五輪に出場。
引退後はコーチに転じ、1966年には全日本の監督を務めた。
1995年にバスケットボール日本リーグ機構が発足されると、専務理事に就任した。
2017年7月15日、心筋梗塞のため死去[1]。83歳没。
日本代表歴[編集]
- 1954アジア大会
- 1956メルボルン五輪
- 1958アジア大会
- 1960アジア選手権
- 1960ローマ五輪
脚注[編集]
- ^ a b 元バスケットボール男子日本代表選手の東海林周太郎氏が死去 サンスポ 2017年7月17日