東洋大日本国国憲按
東洋大日本国国憲按(とうようだいにほんこくこっけんあん)とは、日本の明治期における私擬憲法の一つ。1881年(明治14年)に、国会期成同盟の大会の決定を受け、立志社の植木枝盛が起草した[1]。
概要[編集]
自由民権左派の最も民主的・急進的な私擬憲法として知られる。特徴として、人民主権・自由権・抵抗権(不服従権)・革命権・立憲君主制・連邦制・一院制などを定め、議会の権限が強いことが挙げられる。日本国国憲按ともいう。
影響[編集]
1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が定められると、東洋大日本国国憲按を含む私擬憲法は国家への反逆の意を示すものと政府からみなされ、破却・隠匿されるなどして歴史の表舞台から消え去った。
1930年代、明治文化研究会などで明治憲法制定過程の実証的研究を進める鈴木安蔵らによって他の私擬憲法とともに再発見された。
鈴木は、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)12月、自らが参加する憲法研究会が新憲法案「憲法草案要綱」を作成・公表した際に、土佐立志社による「日本憲法見込案」などとともに「東洋大日本国国憲按」を参考資料とした。同「要綱」はGHQによる憲法草案のベースとなったため、『東洋大日本国国憲按』は同草案を原型として公布された現行『日本国憲法』の間接的源流とみることができる[2]。
脚注[編集]
- ^ なおウィキメディア・コモンズにあるこのファイルはpdfファイルになっており、文字起こしされたものはウィキソース上で閲覧可能である。外部リンクの項も参照。
関連項目[編集]
- 国会期成同盟 - 全国の民権家グループに私擬憲法作成を呼びかけた。
- 五日市憲法 - 私擬憲法の一つ。戦後、かつての豪農の土蔵から発見された。
- 高知市立自由民権記念館
外部リンク[編集]
- 中村克明「校訂・日本国国憲案(植木枝盛憲法案)」『関東学院大学人文学会紀要』第134号、関東学院大学文学部人文学会、2016年、105-121頁、NAID 120006026438。
- 植木枝盛の憲法構想 - 史料にみる日本の近代 - 国立国会図書館 - 全文の画像あり。
- 【現代語訳】植木枝盛「東洋大日本国国憲按」(筑波大学リポジトリ・PDF版) (ブログ版) - 山本泰弘による現代語訳