東根頼景

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東根頼景
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正9年5月10日1581年6月11日
別名 次郎三郎、坂本頼景
氏族 天童氏東根氏
父母 父:天童頼貞、母:国分盛氏
養父:東根頼息
兄弟 最上義光側室、天童頼澄頼景
秋保直盛正室

東根 頼景(ひがしね よりかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将天童氏の家臣。東根氏7代当主。出羽国東根城主。

生涯[編集]

天童頼貞の次男として誕生。東根頼息の養嗣子となり東根姓を名乗る。

兄・天童頼澄の最有力家臣(同盟者)である延沢満延最上義光の調略によって天童氏を離反すると、天童八楯(最上八楯)と呼ばれる天童氏に属した有力国人達は次々と最上氏へ鞍替えしたが、頼景はその動きに同調せず、あくまで最上氏への抵抗を試みた。しかし、天正9年(1581年)5月10日、家臣・里見源右衛門の裏切りに遭い、数十人の部下と共に非業の死を遂げた。

残された一族末裔は現在の岩手県沢内村坂本神社付近に土着、その後、現在の秋田県仙北郡六郷東根付近に移住、東根氏初代・頼高の姓である坂本を称し、歴代戸主は東根7代・二郎三郎の末裔として名を七三郎と称す。子孫には秋田県仙北郡の先覚者と呼ばれ貴族院議員を務めた坂本理一郎がいる。

出典[編集]