東山晃

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東山 晃
名前
カタカナ ヒガシヤマ アキラ
ラテン文字 HIGASHIYAMA Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-11-09) 1989年11月9日(34歳)
出身地 福井県
身長 170cm
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2005-2007 福井商業高校
2008-2012 北陸大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012 タイ王国の旗 サムットプラーカーン・ユナイテッドFC
2013 タイ王国の旗 ウボンUMTユナイテッドFC
2016 カンボジアの旗 ウェスタン・プノンペンFC
2017 モンゴル国の旗 ウランバートル・シティFC
2018 ニュージーランドの旗 サウスランド・ユナイテッド
監督歴
2014-2015 日本の旗 北陸大学フューチャーズ
2018 モンゴル国の旗 アンドゥード・シティFC
2020 マレーシアの旗 クチンFA
2021- マレーシアの旗 クランタン・ユナイテッドFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

東山 晃(ひがしやま あきら、1989年11月9日 - )は、福井県出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

来歴[編集]

選手[編集]

福井商業高校サッカー部で3年時に第86回全国高等学校サッカー選手権大会に出場したが、1回戦で那覇高校に敗れた[1]北陸大学を卒業後にタイ・ディビジョン1サムットプラーカーン・ユナイテッドFCウボンUMTユナイテッドFC英語版でプレー。その後は移籍先が見つからず選手生活を一旦離れるが、2016年に伊藤壇が設立したチャレンジャス・アジアのサポートを受けてカンボジア・リーグウェスタン・プノンペンFC英語版と契約し、プロ選手として復帰した[2]

2017年、モンゴル・ナショナルプレミアリーグウランバートル・シティFCと契約[3]

2018年、ニュージーランドのアマチュアクラブであるサウスランド・ユナイテッド英語版に加入し、選手兼アカデミーコーチとしてプレーする傍ら語学学校の学生としての生活を送った[4]

指導者[編集]

2014年から2015年まで、選手生活を一旦離れて母校の北陸大学のコーチおよび北陸大学フューチャーズ(当時北信越フットボールリーグ2部に参戦)の監督を務めた[2][3]。また、国民体育大会に臨む石川県成年男子サッカーチームのコーチも兼任。この頃にJFA公認B級コーチライセンスを取得する[4]

2018年5月、ニュージーランドでプレーしていた時にオファーが届きモンゴル・ナショナルプレミアリーグアンドゥード・シティFC英語版監督に就任。当時28歳で「世界最年少日本人監督」となった[5][4]冨澤拓海らが在籍するクラブをリーグ3位に導いた。

2019年は神戸清雄が監督を務めるタイ・リーグ2ノーンブワ・ピッチャヤFC のアシスタントコーチ(分析担当)に就任し、同年2月にAFC Aライセンスを取得[5]

2020年、マレーシア・プレミアリーグに昇格したクチンFAの監督に就任。昇格1年目にクラブをリーグ4位に導いた。

2021年、マレーシア・プレミアリーグのクランタン・ユナイテッドFC監督に就任。

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

資格[編集]

  • AFC Aライセンス

脚注[編集]

  1. ^ [全国高校選手権初出場校同士の対戦は那覇に軍配!(福井商vs那覇)]”. ゲキサカ (2007年12月31日). 2021年7月5日閲覧。
  2. ^ a b 東山晃がカンボジア1部で現役復帰…過去にはタイの2部でプレー”. サッカーキング (2016年1月12日). 2021年7月5日閲覧。
  3. ^ a b 男子サッカー部OB東山晃選手がモンゴル1部リーグへ”. 北陸大学 (2017年4月19日). 2021年7月5日閲覧。
  4. ^ a b c 『世界最年少日本人監督』となった東山晃の挑戦”. Golaco (2019年12月13日). 2021年7月5日閲覧。
  5. ^ a b サッカー部OB 東山さん モンゴルで監督就任”. 北陸大学 (2018年6月15日). 2021年7月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]